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日中比较文化论

日中比较文化论
日中比较文化论

日中比較文化論(1)

日本人と中国人、似ているようで全く違う

新しいページ1日本と中国は一衣帯水の国

日本人と中国人は同じ東洋人であり、黒い瞳、黒い髪、皮膚の色など外見はそっくりでちょっと見ただけでは区別がつきません。

その上日本は中国とは古来より「一衣帯水」の関係(遠くから見ると、そこにあると思えないほどの狭い川、つまり日本と中国はほとんど隔てられる障害がないほどの

親密な関係である)と言われるほど、中国から非常に大きな影響を受けてきました。

古くは後漢の光武帝の時代、西暦57年に日本の九州の一小国の王の使節が朝貢し、「漢倭奴国王」の金印を授かっています。その後、三国時代の238年(*注1)には、西日本を統治していたと言われる邪馬台国の女王「卑弥呼」が魏の皇帝「曹丕」に使者を派遣していることが魏志倭人伝(正確には魏志東夷伝倭人の条)に記されています。

以来遣隋使や遣唐使が当時の先進国であった中国の文化や政治を学ぶため派遣され、律令制度や京都、奈良で見られるような条里制(碁盤の目のように東西南北の通りで作られた都市設計)などが取り入れられました。

その他にも漢字や仏教の伝来などがあり、これらの文化は今でも日本人の生活の中に深く入り込んでいます。

このように外見的に似ている上に文化面でも中国文化の影響を強く受けた日本が

中国人と同じ考え方をすると考えるのは至極当然のことだと思えます。しかし実際は

私たちが思っている以上に大きな違いがあるのです。

*注1.魏志倭人伝では、倭の使者「難升米」らが帯方郡に皇帝との謁見を願い出ると書かれているが、この時、帯方郡(朝鮮)では「公孫淵」と「司馬懿」の戦闘が行なわれており、この年ではおかしい。日本書紀に記されている景初三年(239年)が正当と思われる。

日本人と中国の考え方

日本人は何事にも控え目で、物事に対してYES、NOをはっきり言わない国民だとよく言われますが、中国からの文化を取り入れて来たにもかかわらずこう言った考え方の日本人と、物事をはっきりと表現する中国人とは大きな違いがあります。

中国から漢字を学びその漢字からひらがなやカタカナを作り出していったように、受け入れた中国文化も日本人の考え方にそって歴史と共に少しずつ変化が生じてきました。

もともと日本人の考え方の中にはできるだけ人との争いを避けたいとする考え方があり、これがはっきりと「NO!」と言えない文化の原点になっています。

また物事をはっきり言わなくても相手の言葉の裏を理解しあえる日本独自の文化と相まって一層このことが日

本人を曖昧な性格と思わせてしまっているのです。

中国人は島国の日本と違い大陸の人種ですから欧米人と似た考え方をします。争いをいとわず白黒をはっきり

自分の考えを主張したりYES、NOをはっきりさせようとする考え方は中国が長年にわたる封建制度から抜け出し、共産主義による近代国家を打ち立ててから、より一層強くなったように思われます。

日本の「阿吽の呼吸」(「阿」は息を吐くことで、「吽」は息を吸うこと。お互いに考えていることや感じていることがぴたりと合うこと)だとか、「一を聞いて十を知る」(初めを聞くと終わりまで理解できるという意味)といった独自の文化を重視する日本が国際間の交渉において極めて優柔不断で真意が分からないと非難されることが多いのはこのような日本人の考え方を中国人や欧米人も理解できると思い込んでいることに問題があ

ります。

まだ欧米人は日本人と比べても目の色や髪の色、皮膚の色も違いますので、考え方が違ったとしてもある程度納得できますが、中国人は日本人とよく似ているためどうしても日本人と同じ思考回路を持っていると思ってしまいがちです。

同じような顔をしていても日本と中国の考え方には大きな違いがあるということをはっきりと認識することが必

要です。このことを明確にした上で中国文化を理解しようとしないと、いつまでたっても「どうしてこんなことがわかってもらえないのか」とか、「なぜそんなことを言うのだろう」と言うような疑問を抱くばかりで、少しも問題解決にはなりません。

中国文化、大きな三つの特徴

それでは中国文化を理解する、言い換えれば中国人を知る上で最も大切なことは何か。このことについてお話しましょう。

ポイントは三つあります。一つ目は「関係」。日本語ではコネと訳されていますが、日本のコネが一方にだけメリットがある形態でも可とするのに対し、中国の「関係」は必ず双方にメリットが無ければならないという点が少し違います。

二つ目は「面子」。日本語でもメンツと言って使われますが、日本人にとって「面子」とは自尊心(プライド)であって、それ以外の感情はあまりありません。しかし中国人中国人の「面子」には自尊心のほかにも虚栄心、見栄と言ったものが複雑に絡み合っていて、日本人が用いる意味よりもっと奥深い、彼らの本質にかかわるようなものが感じられます。

三つ目は「人情」。日本人も義理、人情と言った感情は理解できますが、「関係」や?面子?との相関関係において複雑に絡んでくるので、日本の義理人情以上の「濃い感情」とでも言えばそのニュアンスが分かりやすいかもしれません。

それではこれら三つのポイントをひとつずつ説明していきましょう。(2007年8月記2,174字)

日中比較文化論(2)中国社会はコネ社会

中国のコネ社会ができた原因

どこの国にもコネは存在しますが、日本と中国を比べてみると非常に大きな差があります。日本ではコネを使っ

ら下は小さな個人経営のお店の店員に至るまでこのコネを利用(活用)し、たくましく生きています。

中国語でコネを「関係」(guan xi)と言いますが、この関係こそが中国を知るひとつの大きなポイントなのです。中国人がなぜそれまで「関係」を重視するようになったのか、それには中国の長年にわたる政変、動乱によるものが大きいと思われます。歴代の王朝が没落するたびに新たな王朝との戦いが幾度と無く繰り広げられましたが、戦争中は敵か味方か、殺すか殺されるかの世界であり、出会った相手が味方(身内)であるかどうかが生命を左右します。このようなことから中国人は自ずと人を二つのタイプに分ける習慣が身についたのだと言われています。したがって相手が自分に害を加えないまでも身内(中国語では自己人/zi ji ren)ではないと思っている間は何事

も本音では付き合えず、物事の交渉もスムーズに行きません。いかにして相手の「自己人」になれるかが中国社会では非常に重要になってくるのです。

また古代封建制度の身分の差はそのまま権力の差となっており、その権力を利用するためにはこの「関係」を構築することが生きて行く上でどうしても必要であり、相手に物品や情報を提供したりする事により、その代償とし

ての成果を得ると言った仕組みが存在するようになったのです。

前段で申し上げた日本のコネと違う、双方に利益がある中国の関係がここにあります。

これらの要素が中国における「関係」の重要性を作り出していったものと思われます。

世界の美女カレンダーが作ってくれたコネ「関係」

私は1987年から90年まで4年間北京で駐在していましたが、その間に実際に

私が経験した「関係」をお話しましょう。

駐在員のビザの有効期限は6ヶ月で、半年毎に公安局(日本の警察署にあたる所)で

更新手続きをしなければなりません。私は12月に延長手続きをする必要があったのですが、VIPのお客様があり終日アテンドのためにビザの件をすっかり忘れていました。

お客様が帰り、ふとビザの件を思い出しパスポートを見ると、何と昨日で切れているではありませんか。ビザの有効期限が過ぎてしまえばたった1日でも不法滞在となり、

非常に面倒な手続きが必要になります。

私はあわててパスポートと写真を持って公安局に飛んで行きました。その時おりしも

12月でいろいろなカレンダーが事務所に送られて来ていましたので,少しは公安官の心証を良くするのに役に立つかなと思い、紙袋に入れて一緒に持って行きました。

窓口は相変わらず大行列で私はその最後尾に並び、申請書を書きながら順番を待っていました。行列の半ばまで来た時、誰かに呼びかけられました。「そこの紙袋に入っているものは何ですか?」、「エッ?カレンダーで

すが…。」、「何のために持ち込んだのですか?」、「公安局の皆さんに差し上げようと思いまして…。」、「そうですか。それではこちらに来てください。」

このようなやり取りがあって彼の部屋に招き入れられた時、彼がビザ発給の責任者、

ALの世界の美女カレンダーでした。

選別が終わってからようやく「ところで今日は何の用件で来られたのですか?」

「実は駐在ビザの更新に来たのですが、うっかりしていて昨日で切れてしまっていたのです。申し訳ありません。」「な~に問題ありません。すぐに手続きさせましょう。」と言って係りの者を呼びつけ、彼に書類を渡すように言いました。私は「まだ申請書を書き終えていませんが…。」と答えましたが、「係りの者に書かせますから大丈夫です。」と言われました。

ここで何故このように日本のカレンダーが重宝されるのか、その当時の中国の事情に

ついてお話しましょう。当時の中国の印刷技術は未熟で、カレンダーのカラー写真も

くすんだような色できれいではありませんでした。またその上、女性の水着写真など

なかなか見ることが出来ないと言った環境でしたのでJALの美女カレンダーがもてはやされたのです。その証

拠に例の局長はちゃんと8月のところを開いてにっこりと笑みを浮かべていましたから…。

接待は一族郎党で受けるのが当たり前

思わぬ事態の進展にここは公安局とコネを構築する良いチャンスだと思い、特別の

取り計らいに対するお礼として夕食をご招待したいと申し出たところ快く受けていただきました。何がご希忚かお聞きしたところ「日本食」を食べてみたいとのことでしたので、日本食レストランを予約しました。当時日本食は高価で一般の中国人ではなかなか食べる機会はありません。ですから彼が日本食を希忚したのもよく分かります。

約束の時間に事務所の社員と一緒にレストランで待っていたところ、現れたのは局長のご両親、奥さん、子供を含む一家勢ぞろいに部下1名をくわえた総勢6名で、局長とせいぜい部下の1~2名と思っていた私は大あわてで席を追加しなければなりませんでした。

日本人から見れば何とずうずうしいと思われるようなことも、中国人の「自己人」であれば当たり前のことなのです。かえって私はこれで局長の「自己人」により一歩近づけたと感じました。

驚かされるコネ「関係」の威力

ビザ更新は通常公安局に申請して1週間後に、電話で自分の申請番号を申し出て出来ているかどうかを問い合わせるのですが、今回は翌日に公安局のほうから電話があり、「先生のビザが出来上がりましたので、いつでも取りにお越しください。」と言われたのには驚きました。普段はこちらから丁寧に聞いても「還没有!」(まだ出来て無い!)とぶっきらぼうに言われるのに何と言う違いでしょう。今さらながら局長の権限の強さに驚かされると共に部下の変わり身の早さにも感心しました。

公安部出入境管理局の局長にとって日本人とコネがあれば何かと役に立つし、作りたかった「関係」であったのかもしれません。私にとっても思わぬところで公安の、それも上級幹部と知りあえたことは大きな成果でした。しかもこの?関係?が後々になって大いに役立つことになるのです。

修学旅行でパスポート紛失

証明をもらい、明日の午前中に日本大使館で「帰国のための一次渡航書」を発給してもらわないと間に合いません。

生徒と添乗員、担任の先生と共に公安局に行きましたが、日曜日で門は閉まっており

守衛の人にわけを話して当直の人にパスポート紛失証明を書いてもらうようお願いしましたが、「今日は休みだから明日来い!」と言われ、取り付く島も無い有様でした。

そこで思い出したのが例の局長です。彼はビザ部門なので畑違いかもしれないが、他に頼るところが無いので、だめもとで電話してみました。

わけを話すと彼は「わかった。私から当直のものに連絡しておくので5分後にもう

一度守衛に言ってみてくれ。」とのこと。しばらくして門のところまで行くと、さっきまであんなにつっけんどんであった守衛が何とニコニコしながら門を開け、「さあどうぞ。あちらで係りの者がお待ちしております。」と言うではありませんか。

当直の者から簡単な事情聴取を受け、わずか数分で無事パスポート紛失証明書を手に入れることができました。翌日は順調に日本大使館での手続きを終え、全員無事帰国することができましたが、例の局長とのコネ「関係」が無ければこの生徒はみんなと一緒に帰国できていなかったでしょう。

自己人は土足で人の寝室まで入ってくる

私とこの局長とのお付き合いは私が日本に帰任するまで続きました。月に1度一緒に食事をすることくらいは何でもないのですが、私が日本に一時帰国する時はよく「○○を買って来てくれないか」と遠慮なく頼んでくるのです。○○はラジカセであったり、ウオークマンであったり様々ですが、一度だけステレオコンポ(それもでかいやつ)を頼まれた時は「荷物を持つのが嫌いで自分の荷物でもできるだけ少なくしようとしているのに、そんなでっかい荷物を頼むなんて、少しは相手の気持ちも考えてくれよ!」と思わず心の中で叫んでしまいました。

でもこれは日本人の考え方で、中国人は「自己人であれば相手がして欲しいと言われたことは何でもしてあげるのが当たり前であり、反対に自分がして欲しいことも何でもしてもらえる。」と考えるのです。そこに相手の立場とか都合は全く入る余地はありません。

まだ完全に中国人の心境に成りきっていない私は心の動揺を見透かされないよう

冷静を装って、彼にたずねました。「小さなものはスーツケースに入れて持って帰って来ていたから今まで税関で何も言われなかったけど、今度は大きな段ボール箱なので必ず税関で引っかかるよ。税金を払えとか、没収するとかになったらどうするの?」彼はつまらない質問をするなと言うような顔をして答えました。「な~に心配はいらない。税関で捕まったら、日本に持ち帰るのでボンド処理(一時保管)して欲しいと言ってくれ。後は私が処理するから大丈夫だ。」

日本から持ってきたのに日本に持って帰ると言うのもへんな話だが、北京到着時には言われたとおりステレオコンポを一時預けにし、私の荷物だけで通関しました。

翌日局長が私の所に税関での一時保管証を取りに来て、「今から例の物を受け取りに行って来る。」と言って出かけて行きました。

数日後今回のお礼にと局長の家に食事に招待されました。そこで見たものは応接間にデーンと置かれたあのドでかいステレオコンポでした。

「税関の××局長とは古い友人でね。先生も何か税関で困ったことがあれば私に言ってくれれば彼に頼んであ

国際線を無理やり国内線にさせた驚くべき「関係」

関係があれば出来ないことでも出来てしまうもう一つの実例をご紹介しましょう。

これも九州のある支店の添乗員からの電話でした。「今上海から北京に着いたのですが、××日の北京/上海の航空券はそちらでいただけるのですか?」。よくよく事情を聞いてみると長崎から上海に来て上海の視察を終え、今日の国内線は現地旅行社が手配してくれていたが、帰りの上海/長崎に接続するフライトはガイドに聞いても「私の旅行社では手配していない。もしかすると北京事務所で手配しているのかも…」と言われたらしいのです。

日程表の国内線の便名を調べると、北京発上海経由ロサンジェルス行きの国際線の

フライトでした。当時は国際線の一部国内部分のみ(ここでは北京/上海)の利用は

認められていません。したがって中国の旅行社は国際線は当然日本側が手配している

ものと思い、日本側は国内のフライトなので国内線だと思い中国側で手配してくれているものと思い込んでいたのです。

もしこのフライトに乗れないと長崎行きに接続できる便はありません。添乗員が連れてきているのは県議会議員の先生方20数名。もし予定通り帰国できなければ大問題になってしまいます。

何とかできないものかコネを探しました。私が東京に勤務していた頃の中国国際航空の東京支店長が北京の航空予約部長として赴任されていたので、彼に相談してみました。彼が言うには「国際線の一部にむりやり国内線の乗客を乗せると出国管理の問題が出てきてしまうので非常に難しい。私の権限ではどうしようもないが、ただ空港長が特別に認めれば何とかなるかもしれない。」とのこと。

何とかその空港長を紹介してもらう方法はないか訊ねたところ、幸運にも今の空港長は彼が東京支店長としての栄転を進めてくれた上司だそうで、今回北京の本社に帰してもらったのもその上司の引きのおかげだと言うのです。

彼に面会のアポイントを取ってもらった翌日は、いざと言う時のプレゼントのために買い揃えておいた「ウオークマン」、「マイルドセブン1カートン」、「トラベルウオッチ」「資生堂化粧品」などのプレゼントグッズ一式を持参し、30分ほど待たされた後、やっと会ってもらいました。

最初は国際線の国内使用に関して難色を示していましたが、貴方の子飼いの部下と

私は東京にいるときは親しく「自己人」の付き合いだったとか、今回の乗客は九州の県議会議員団で、このフライトに乗れないと将来の日中関係に悪影響が出てくるなどと

哀願したり脅したりして頼み込みました。

しばらく考えていた彼はようやく「分かった。だが北京空港だけがOKしても上海

空港がOKしてくれないとどうしようもない。上海の空港長に事情を説明して何とか

特別な対応をしてくれるよう頼んでみるが、だめだと言われるかもしれない。」と最後は反対に脅される始末でしたが、手土産をお渡しする時に(一応儀礼的に)断りながら最終的には受け取ってもらえたので、あぁこれで何とかなるのではと感じました。

帰国日に北京空港まで見送りに行くと空港長自らが国際線の入り口で出迎えてくれ、出国手続きをしなくてもいいように特別ルートから入れてくれました。

添乗員からの報告によれば上海でも同じように空港職員が待機しており、やはり特別のルートから入れてもらい、無事長崎に帰ることができたとのことでした。

もし航空会社や空港関係者と何のコネ「関係」もなかったら、間違いなく彼らはスケジュールどおり帰国できていなかったことでしょう。法律や規則で出来ないことでも

その権限を持っている人とコネ(関係)さえあればなんでも出来るということを身にしみて感じた一件でした。

友達の友達はみな友達だ

運よくコネ「関係」のある時はよいが、ない時はどうしているのか、私が経験した

一つの例をお話しましょう。

ある日の午後、事務所に中国の青年が訪ねてきました。最初は事務所のスタッフが対応していたのですが、どうしても日本人の所長に合わせて欲しいというのです。

青年はいかにも中国の学生と言った感じの質素な服装で、手には新聞紙に包んだ物を持って立っていました。「私は以前この事務所に勤務していた××さんの奥さんの弟の同級生で、△△大学の3年生で○○と申します。日本語をもっと勉強するために日本に留学したいのですが、身元保証人がいません。そこで友達から先生(私のことです)のことをお聞きし、私の身元保証人になっていただくようお願いに来ました。」と言うのです。「チョッ、チョット待ってください。確かに××さんは私の事務所に勤務していたので良く知っていますが、彼の奥さんとは確か一、二度あったことがあるだけで、彼女に弟がいたことも知りませんでしたし、会ったこともありません。その彼の友達と言われても困ります。私は貴方とは全くの初対面で貴方のことを何も知らないのに身元保証人になることは出来ません。」と断りました。

彼はそれでもあきらめず持ってきたプレゼントを渡そうとします。新聞紙を開くと

出てきたものは魚の缶詰でした。しかも缶詰のラベルは所々はがれており、地肌の缶にはさびが浮いていました。彼にしてみれば精一杯の手土産であったのでしょう。

私はもう一度、身元保証人になると言うことは法律上の責任を負わなければならないことや、たくさんの必要書類を揃えなければならないと言うことを説明し、貴方の身元保証人にはなれないと言いました。

彼は私が持って帰るように言った魚の缶詰をなおも置いて行こうとしましたが、誰かほかに身元保証人になってくれる人にあげるよう勧めるとあきらめてその言葉に従いました。

ほんの少しの係わりでもその細い糸をつたって行き、新たな関係作りをしようとする中国人のパワーに驚かされた出来事でした。(2007年9月掲載6,675字)

日中比較文化論(Ⅲ)面子に生きる中国人

曽我井健二

中国社会で「関係」と共に非常に重要なキーが「面子(mian zi)」です。誰でも面子を大事にしますが、中国人にとって面子をつぶされると言うことは正に人格そのものを否定されると言うことになり、耐えられないほどの屈辱を強いられることになってしまいます。

く言われるのは謝罪の言葉を述べると言うことは自分の誤りを認めることであり、まして人前で自分の面子を自分でつぶすような自殺行為はしたくないからです。

日本人は自分が悪くなくても思わず「ごめんなさい」とか「すみません」と誤ってしまいますので、中国人からすれば日本人は何と不思議な民族だと思われていることでしょう。

叱る時は二人きりで

私が中国人の部下に叱ったり注意をしたりする時、必ず心がけていることがあります。

それは面子を重んじる中国人を同僚の前でその過ちを叱責することは避け、他に誰もいないような場所で話をするようにしていることです。実は最初からそうしていたわけではありませんでした。一度苦い経験があったからなのです。

中国人スタッフのR君が大きな失敗をしてしまったことがありました。日本からのVIP特別斡旋依頼のファックスを受け取ったのですが、外出していた私に後で渡そうと思っていながらそのまま忘れてしまっていたのです。

当日になって空港に出迎えに出たガイドから「お客様が北京事務所の所長が出迎えに来ているはずだと言われるのですが…。」と電話がありました。市内から空港までは車で40分。今すぐ空港まで行くにはお客様を大変お待たせしてしまうので、ホテルにてお出迎えすることにしてもらいました。

ホテルのロビーで連絡の不備を丁重にお詫び申し上げ、何とかお許しをいただきましたが、事務所に帰った私

はこんな基本動作ができなかったR君に少々興奮気味に叱ってしまいました。

彼は「最初にファックスを見たのは私だが、所長の机のところに持って行こうとした時に電話が鳴り、N君がなかなか電話に出ようとしないので私が電話に出たところ、

企業視察の視察先についての細かい問い合わせで、その回答のためファイルを開いて

机いっぱいにカルテを広げ、長時間説明したあとでファイルを元に戻した時に一緒に紛れ込んでしまっていた。あの時N君が電話に出ていてくれたらこんなことにならなかったのに。」と謝らないばかりか人のせいにするのです。私がキレたのは彼の「ファックスが来た時に所長がいなかったから…。」という言い訳を聞いた時でした。

「いつ来るかもわからないファックスをずっと待ってろと言うのか!どうしてすみませんでしたの一言が言

えないんだ!」と思わず語気を荒げてしまいました。

同僚の前で叱られた彼はむきになって、「私は会社のために電話に出て一生懸命対応した。それなのに何故叱られるのか分からない。」と決して謝らないのです。

その場はもうそれ以上言いませんでした。なぜなら普段おとなしい性格の彼が顔を真っ赤にして不満を表していたからです。

気まずい雰囲気の時間が過ぎました。やがてもう一人のスタッフが出かけて行った時、彼を所長室に呼んでもう一度話をしました。私の方から「さっきはチョット感情的になってしまい申し訳なかった。でも貴方も確かに忙しかったのかも知れないが、結果的にお客様にご迷惑をかけたことは事実だし、そのことに対しては自分のミス

度から気を付けます。」と言ってくれました。

この事件以来私も部下を叱る時には彼らの面子を考え、決して人前では叱らないように心がけるようになりました。

私にも面子を下さい!無理しても奢ろうとする部下社員

これは私と中国人スタッフW君とのできごとです。

私は中国人社員と食事をする時は必ず私が支払いをしていました。

やはり私のほうが年上で、上司でもあるし、給料も多い(彼等と比べてと言う意味で、そんなに法外な給料をもらっていたわけではありません)ことからしても当然と思っていました。

W君は当時私が住んでいた日系航空会社系列、Kホテルの女性スタッフと交際をしていて、彼女とデートをす

るのはいいのですが、彼女の勤務時間がスライド制のため遅番の時にはホテルに住んでいる私の部屋でテレビを見ながら時間をつぶすのです。

最初は遠慮がちに「所長、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、彼女の勤務時間が終わるまでちょっと待たせてもらえませんか」と言っていたのが、何回か目になると

私の部屋をノックして、私がドアを開けると「あぁ所長!お疲れ様で~す。」と言って

何の遠慮もすることなく入ってくるようになりました。

ローカルスタッフとの友好関係を維持するため、「NO!」と言えない日本人の私は

彼にビールや食べ物を勧めながら、「なんで私が気兼ねしなくちゃいけないんだ!」と我ながら情けなくなるこ

とがよくありました。

彼女の勤務が午後8時までの時、残業でまだ食事をしていなかった私は、私の部屋でテレビを見ているB君に「たまには3人で食事しようか」と誘いました。もちろんいつものように私が奢ると言うことで快く了解してくれると思っていたのですが、この私の心遣いがかえって彼に迷惑をかけることになるとは思いもしませんでした。

私は二人のために豪華な夕食を提供し、その後は二人にゆっくりデートを楽しんで

もらうつもりで、前門に新しくできた広東料理の店に予約を入れました。

このお店は香港資本との合弁レストランで、内装も豪華で料理もおいしい代わりに料金も一流といった高級レストランです。

もちろん彼も彼女も初めて入る高級レストランであり、予約席へ案内する服務員の他の国営レストランでは決して見ることのできない礼儀正しい接客態度に驚いたように感心していました。

料理のオーダーをする時、彼に「私が奢るから何でも好きなものを注文していいよ。」と勧めたところ、「いえ所長、今日は私が払いますから。」と言うのです。

私の部屋で食事に行こうと誘った時にも彼が「今日は私が払います。」と言っていたのは知っていますが、「いいよ、無理しなくっても。」と言って気にしていませんでした。

ってしまいました。

服務員が私に請求書を持ってきた時、B君がそれを奪おうとします。

私は最初から奢るつもりだからと言うのですが、彼は自分が払うと言って聞きません。

このようなやり取りが何度かあり、とうとう彼の口から「私にも面子を下さい。」と

言う言葉を聞いた時、私は頭から冷水を浴びせられたようにハッとしました。

やはり彼女の前で上司に奢ってもらってばかりではないと言うことを誇示したかったのでしょうが、このような面子のために自分の給料の1か月分を使ってしまうようなことは日本人の私が彼の立場であれば出来たかどうか疑問です。

日本人であれば「ラッキー!ご馳走様で~す。」とちゃっかり上司に奢ってもらうのが普通だと思います。

彼女の前でも、そこまで見栄を張る必要はないと考えるのが大抵の日本人でしょう。

W君はこのために次の給料日までかなり切り詰めた生活を強いられることになっても、自分の面子を立てることのほうが重要だと考えているのです。

面子を日本人以上に重要視する中国人と付き合う時は相手の面子が立つように私達も注意をする必要があることを痛感しました。

それ以後、彼女とデートの時以外はB君となるべく一緒に食事に行くようにしました。

彼の残り少ない所持金で次の給料日まで持たせるために私が奢っているのです。

でも彼は面子があるので相変わらず3回に1回は「今回は私が奢ります。」と言うの

ですが、私が「貴方の面子はよく分かっているが、今月だけは私の面子を立ててくれ。」

と言うと、素直に聞き入れてくれました。面子も彼女の前と彼女がいない時では少し違っているような気がするのは、私だけでしょうか?

日中比較文化論(5)社会風土のこんな違い、あんな違い

曽我井健二

今までは中国人の考え方をなしている三つの大きな要素である、面子、関係、人情についてお話ししてきました。これらの3つの事柄は大きな要素ではありますが、これだけでは完璧ではありません。これは中国も日本も同じだろうと思うようなことが、実は違っていたりすることがまだまだたくさんあるのです。

過去は「水に流す」日本人、「いつまでも忘れない」中国人

人から受けた恩に対しては感謝と礼を表すのは日本人も中国人も共通ですが、人から受けた仇に対しては日本人と中国人の考え方は正反対と言っていいほど違っています。

中国には人をののしる言葉として「忘八」(wang ba)と言う言葉があります。(王八と書くこともあります。)

ます。このことを見ても、中国人がいかに忘れることを軽蔑しているかが分かります。

司馬遷の史記に出てくる晋の文公にまつわる話を読んでも、恩怨には必ず報いるのが人の道であり、それを忘れることは悪徳であるとされる中国人の気質がわかります。

祖国を捨て全国を放浪していた時代に恩を受けた人には、天下を取った後に手厚くもてなし、自分をあざけったり、ひどい仕打ちをした者に対しては、その恨みを決して忘れることなく刑罰に処したり、領地を没収するなどの処罰を下しています。

日本人であればどうでしょうか?以前ひどい仕打ちを受けた者であっても、時がたてばもうそれは過去のこととして水に流してしまいます。特に自分が以前より豊かになって幸せな生活ができていればなおさらです。それは日本人の心の中に過去のいやなことは早く忘れて一から新しくやり直そうとする考え方があるからです。

第二次世界大戦時、日本は広島と長崎に原子爆弾を落とされ、何十万人と言う人が犠牲になりました。世界で唯一の被爆国となった日本ですが、原爆を恨みこそすれ、その原爆を投下したアメリカやアメリカ人を憎み、嫌っているということはありません。

反対に現在の日本は政治面、経済面でもアメリカに依存している傾向があります。最近は日本と中国との関係が大きくなって来たので以前ほどのことはありませんが、一時は「アメリカがくしゃみをすれば日本経済は風邪を引き、アメリカが風邪を引けば日本は重病になる」と言われていたくらいでした。

過去のことは水に流し、いやなことは早く忘れてしまおうと考える日本人と、忘れることは人の道を外す悪いことであると考える中国人の考え方の違いを理解しておかなければなりません。

そうでなければ、日中戦争の謝罪を何度も要求してくる中国政府に対し、中国人は何と執念深い民族だという悪い印象しか残りません。反対に中国人からしてみれば、日本人は戦争時に中国に多大の損害と迷惑を掛けたにもかかわらず、もうそのことを忘れてしまっている。なんと人の道に外れた民族なのかと、お互い非難しあうだけです。

お互いに相手の国の文化の違い、考え方の違いをよく理解した上で、これらの問題を解決することが大切だと思います。これからは貴方たちの世代ですのでよろしくお願いします。

日本人と中国人、名前の付け方はどう違う?

親が子に名前を付ける時はどこの親でも健康に育つようにとか、利口に育つように、という願いを込めて一生懸命子供のために良い名前を考えます。

日本では名前に親兄弟で同じ一字を使うことがよくあります。たとえば毛利家は「元」、島津家は「久」と言う字が親子で代々受け継がれています。このような名家の武家だけに限らず、一般家庭でもお父さんの一字を子供につけることはよく見られます。

中国も共通の一字を付けることが多いのですが、日本と中国では同じ一字を付ける時でもそのルールが違っているのです。

香港やシンガポールに行ったことのある人は、市内観光で必ず訪れる「タイガーバームガーデン」のオーナーで、万能薬「タイガーバーム」で巨万の富を築いた「胡文虎」、「胡文豹」兄弟の話をきいたことがあると思います。

兄が胡文虎、弟が胡文豹で、共通の「文」と言う文字の下に、兄は虎、弟は豹という勇猛な動物の名を付けています。

昭和の始めに、ある日本人が中国人になりすまし、「私は中国の財閥、胡文虎の子で胡文彪と言う者だが、父が生前収集していた骨董品があるので、これを担保に金を貸してもらいたい」と贋物の骨董品を持って相談に訪れました。相手の貿易商は中国の風俗、

習慣に詳しかったので、名前を聞いた途端、すぐこの男は中国人ではない、当然、胡文虎の子供でもないと見破られ、警察に引き渡されてしまいました。

なぜ彼が偽者であると分かったのでしょうか?それは彼の名前が親と同じ文字を使っていたからです。日本では親の一字をもらって子供につけることは良くあることなのですが、中国では同じ一字を兄弟間で使うことはあっても、親子の間で使うことはありません。例えば私が北京駐在中に北京市旅游局の局長をしていた「薄熙成」のお父さんは中国共産党の重鎮「薄一波」で、父親とは同じ字を使っていませんが、兄弟間ではその当時の大連市長で現在は商務部長(日本の経済産業省大臣に相当)の「薄熙来」とは「熙」という字を共通で使っています。

このような慣習を知らなかった日本人のペテン師は、より本物らしく見せようと親の名前の一字を受け継いでいるかのような、いかにもそれらしい名前を考えたのが逆に命取りになってしまいました。

この詐欺師も私の日中比較文化論の授業を受けていれば、捕まることは無かったでしょうね。

日本の縦型社会と中国の横型社会

日本の会社組織は社長を頂点にして、その下に専務、常務などの取締役、さらに部長、課長、係長、主任、一般社員、と言うようなピラミッド形をしており、指示、命令系統は上下だけではなく営業部と企画部、財務部などの横の関係においても連携が取れることは当然のことになっています。

ところが中国は会社の中でも各部署が独立した組織として横一線に位置付けられており、他の部門に及ぶ業務は非常に連携が悪いのが特徴です。

旅行社での例をあげれば、外国の旅行社から手配依頼を受け、料金の見積りや手配の状況、結果を連絡する「対外連絡部」(通称外連部)と、外連部と連動してホテルや

バス、レストランの予約、及びガイドのアサインなどを担当する「接待部」、旅行費用の清算や請求を担当する「財務部」がありますが、これが同じ会社の中で仕事をしているとは思えないほど横の連絡が悪いのです。

たとえば30名の団体で出発間際に1名キャンセルが出て29名になった場合でも、

外連部から接待部にちゃんとその連絡ができていなかったりすることがあり、その場合ほぼ間違いなく財務部から30名分の請求書が送られてきます。

「うまく行けば1名分多く儲けられる」と考えてわざとこのような請求書を作るわけではなく、単純に1名取り

連絡の悪さにまつわる誤請求は日本側への過請求のものだけでなく、過少請求があることから見ても良く分かります。食事の追加手配でスタンダードメニューから名物料理に急に変更を依頼した場合、追加料金が請求されていないことがあるのです。

心優しい私は、このような場合でも「ここの費用がもれていますよ。何月何日付けで追加手配を依頼していますから、外連部に確認してください。」と教えています。

「K旅行社は過請求の時はうるさく言ってくるけど、過少請求の時は一切何の連絡も無い。貴方は本当に優しい人だ。」と言ってくれましたが、これって誉めてくれているのか、くみやすし、と見られているのか疑問の余地があります。ビジネスですので本当はもっとシビアにしないといけないのかも知れませんね。

ただこのようなことも、親方日の丸ならぬ「親方赤旗」の国有企業なら現在でも見られる現象ですが、一般企業、特に私が関係している民営企業に移行した旅行社との間ではほとんど無くなっていることを中国の旅行社の名

誉のために申し添えておきます。

会社に忠誠を誓う日本人、会社は一つの職場に過ぎない中国人

北京に駐在している頃、ある日系ホテルの日本人総支配人と話をしていて、サービスの話からスタッフの教育についての話になりました。私は妻と友諠商店で買物をしようとした時の不愉快な出来事(後で日本式サービスと中国式服務というテーマの時に詳しくお話しします。)を溜め息まじりに話しますと、K総支配人は「私共はホテルですからサービス業の何たるかを一から中国人社員に教えています。しかしやっと日本式のサービスができるようになり、その中の優秀な社員をマネージャーに抜擢しようと考えていたら、突然その子が辞めてしまうのです。新しくオープンする隣の外資系ホテルから給料をアップするからうちに来ないかと勧誘があったらしいのです。仕方なくまた社員を採用して教育をし、一人前にしてから、やっとこれから使いものになると思ったとたんにまた辞められる。まるでうちは無料の、いや給料付きの職業訓練所ですよ。」と嘆いておられたことがありました。

外国のサービスとはどういうものかを教えてもらい、自分に知識がつくとその知識を自分をより高く売りつけるための手段として使い、お世話になったホテルをさっさと辞めてすぐ隣のホテルに行ってしまう中国人に対し、日本人は何と恩知らずな中国人だと思ってしまいます。でも中国人は日本人のように、会社に対して忠誠を誓うとか、義理に縛られるとか、一生この会社で働きたいと考える人はほとんどいません。今働いている会社は条件が良ければ続けて働くし、良くなければ他の条件の良いところに変わる。このような割り切った考え方が中国人社会では一般的であり、会社を変わることは別にたいした問題ではないのです。

日本人社会ではどうでしょうか?最近は日本の若い人の中にもこのような考えの人たちが増えて来たように

思いますが、日本人の中には一生一つの会社に勤めるといった人達がまだまだ大勢います。私達の世代はまだ終身雇用制度というものがあり、どんな人でもいったん会社の人間になると、よほどの失敗をしない限り一生会社が面倒をみてくれる制度になっていました。その制度が崩壊してからは日本も会社を頼ってばかりいられなくなり、昔ほど会社に対する思い入れが少なくなってしました。

私も会社を替わった転職経験者なのですが、私の場合は30年間勤めたN旅行社から

業界最大手のJ旅行社に転職しました。仕事の内容も同じ中国旅行に関する業務でしたので、まったく新しい業種に転職することを思えば何も心配することは無いのですが、N社への愛着とか、社会人として育てていただいた義理とかを考えると、本当に悩みました。N社では中国旅行の責任者として、J社に追い着き追い越せ(チョッと無理ですが…)をスローガンに頑張っていた私が、いくら乞われたからと言っても今までの競争相手の会社に行っていいものか、と思いました。義理人情に厚い私ならではの話でしょ。

日本人は自己批判、中国人は自画自賛

今まで日本の旅行社は中国の旅行社にとって日本人のお客様を中国にお送りする「お客様」の立場でした。今ももちろん日本人の中国観光客は増え続けていますので、引き続き「お客様」ではあるのですが、中国人の海外旅行が開放されて以来、毎年増え続ける日本への中国人観光客により、この立場が微妙に変わりつつあります。

外国人の受け入れを担当している部門は「国際旅行部」と呼ばれ、お客様は観光客を送っていただける外国の旅行社になります。当然、中国の旅行社もその一つです。

ある時、私の会社の国際旅行部のF部長が広州に営業に来ました。広州の旅行社を回り、自分の所にお客様をお送りいただくようお願いに来たのです。相手はお客様ですので、F部長は「弊社の手配で何かご不満の点がございましたら、どうぞご遠慮なくおっしゃってください。」と言うと、中国の旅行社のT部長は「いえいえ、とんでもありません。こちらがご指導いただいてばかりです。」と言って、それまで私に「見積もりの回答が遅い。」とか、「他社と比べて料金が高い。」とか文句を言っていたことなど、一言も言いません。

F部長は日本人ですから、相手が言うことを鵜呑みにすることは無く、自分に恥をかかさないようお世辞を言ってくれているのだろうくらいに考えています。私が見積もりの回答が遅いことや料金のことを言うようT部長に促し、それを聞いたF部長は一言も聞きもらすまいと言った様子で、メモを取っていました。そして自分達の至らなかったことを反省し、必ず改善させますと約束して、お詫びしたのです。日本の社会ではよく見られるようなケースですね。

一方、現地旅行社の方はだんだん自社の自慢話になってきました。なるほど、中国人は商売人だな、自分の畑で取れた胡瓜が一番うまい。うまい胡瓜は高く売れる。と思っていると感じさせられるような話でした。「うちの会社は政府機関と深い関係(guan xi)があり、政府の視察旅行や研修旅行は、ほとんどうちが手配しています。また教育旅行関係では教育庁の△△処長とはいい友達なので、彼の方から学校の方に指導してもらい修学旅行もたくさん取り扱っています。」(それにしてはJTBに来る手配依頼が少ないなぁ…。)延々と自慢話が続き、最後は「御社にはたくさんお客様をお送りしますから、他社より安くしてくださいよ。」とダメをおされました。

この二人のやり取りを見ても、そんなにへりくだらなくてもいいのに!と言いたくなるほど謙虚な態度を取る日本人に対し、中国人は自分達のよいところを一生懸命売り込もうとします。職人気質の日本人は自分の技術の未熟な点があれば反省をして改良しようとし、商人気質の中国人はいいところを宣伝して高く売ろうとする。お互いのDNAがそうなってしまっているのでしょうね。

職人気質の日本人、商人気質の中国人

先ほど日本人は職人で、中国人は商人だと説明しましたが、この点についてもう少し深く掘り下げて考えて見たいと思います。

日本では商品を作る時、生産性を上げたり、コストを下げる努力をする以外に、優れた品質のものを提供するために不良品の発生を防いだり、消費者の利便性を考えた商品造りを考えます。どのようなものを開発すればお客様に喜んでいただけるか。つまりどのような商品を作れば買っていただけるか、と言うことを絶えず研究しています。

同じ京都に本社があると言うことで親しくお付き合いをさせていただいていた、女性下着メーカーW社の例をあげますと、ブラの製作にあたっては何百人という女性モニターの体形を計ってそのデーターを分析し、女性にと

んが、「胸を美しく、そして大きく」見せたいと願っているお客様の要忚にお応えする商品として開発され、一躍人気商品のトップに躍り出ました。どのような商品を開発すればいいのかを常に考えていたからだと言えます。

えっ?これが不合格ですか?

W社は品質管理についても徹底したチェックが行われており、私が工場を見学させてもらった時に「不合格」と書かれた段ボール箱に入っている廃棄処分品は、ちょっと見ただけではどこが不合格なのかわかりません。案内していただいていたA部長に「これ、どこがダメなんですか?」と聞いてみますと、「そのままでは見分けがつきませんが、こう引っ張って内側から見てみると、ほら、一本横糸が抜けているでしょう。」と言われました。なるほど、かすかに横に線が入ったように見えます。「うちの基準では横糸一本欠けていてもダメなものはダメなんです。」と説明してくれましたが、「さすが世界のW社、すごい!」と感心しました。

「捨てるのだったらもらってもいいですか。」と思わず言いそうになりましたが、さすがにそれは言いませんでした。(エ~ッ!と言う女子学生の非難の声に、マズイ!)

最初は日本企業の品質管理の厳しさを合弁相手の中国側に理解してもらうのに、ものすごく苦労をしたそうです。合弁先の中国人幹部は「どうしてこれが不良品なんですか?横糸が一本、それも裏側で引っ張ってみないと分からないくらいだから、売っても大丈夫ですよ。中国では横糸3本も5本も抜けているもの売っています。1本抜けているだけなら全然問題ない!」と言って、なかなか廃棄処分にさせなかったのだそうです。W社の商品が他社よりも高い値段であるにもかかわらず、お客様に買っていただけるのは我社の商品を信頼していただいているからであり、その信頼を裏切らないことが大切だと言うことを説明し、理解をしてもらった(と思っていた)そうです。

廃棄したはずの商品が売られていた!

ある日A部長が市内の自由市場に行った時のことです。何とW社マークが入ったブラが売られているではありませんか。W社の製品は中国でも高級商品であり、価格も中国製の4-5倍の価格になっているにもかかわらず、ここでは中国製よりちょっと高いだけです。また販売先も王府井のデパートや友諠商店などの限られたお店にしか卸していないはずなのに、どうしてこんな自由市場で売られているのか不思議でなりませんでした。コピー商品かと思い、手に取って調べてみると間違いなくW社のものでした。

あとで調べてみてわかったことですが、中国人幹部が「ちゃんと売れるのに、処分してしまうのはもったいない」として、日本側には内緒で取引先以外の業者に売っていたというのです。中国人らしい発想ですね。このあとA部長は検査制度を見直し、検査後、不合格と判断された場合はすぐその場で裁断するように変更しました。それ以降、不合格品が商品として出回ることはなくなったそうです。

日本人が職人気質であるというのは、このようにたえずお客様のニーズを取り入れ、技術を磨がき、すばらしい品質の商品を作ろうとすることからもわかりますし、中国人が商人気質であるということは、品質は二の次で、売れるものはどんどん売ろうとしたことをみてもわかります。これは中国人が品質管理を重要なポイントとして

考えず、一級品でなくてもそれに近い商品でうんと安いコストで生産することの方が儲かるし、大切であると考えるからです。私も中国生活が長いせいか、横糸一本くらいいいじゃないの、と考えてしまいますが、やはり考え方も中国ナイズされてきているのでしょうか?(2,007年11月記7,691字)

日中比較文化論(4)清廉潔白の堅物を奈落の底に落としこんだ「人情」とは

「人情」は3つのキーワードの中で日本人が一番理解しやすい感情ではないでしょうか。

中国人の考え方と日本人の考え方がよく似ているからですが、冒頭で申し上げたように

日本の「人情」よりもっとドロドロとした人間としての感情を感じさせられます。

今からお話しする事件は私が体験したことではありませんが、当時新聞沙汰になった事件であり、人情に関する特徴的な一事例と言えるでしょう。

将を得ずんば馬を射よ

土地は全て国有で、ようやく土地の借地権の売買が少しずつ行われるようになった頃、闇の不動産ブローカーをしていたFは、市の一等地が売りに出されること知り、それを転売して一儲けしようとたくらんでいました。

は政府への登録も無く、もちろん正式の不動産取引ができる許可証もありません。

そこを何とか無許可でも土地を手に入れようとするのですから、このFという男も相当のしたたか者と言えます。政府筋への「関係」を自分の友人知人を通じてあらゆる方向から探してみましたが、

上層部までにはつながるものは無く、ようやくたどり着いたのは下っ端の職員でした。その彼から得た情報は「決定権のある局長は全くの堅物で、賄賂や関係は今まで受け付けた事が無い」という中国では珍しい清廉潔白な名士であるということでした。

これでは取り付く島もありません。しかし彼から「局長は可愛そうに奥さんが病気で入院されたのに、仕事が忙しくてなかなかお見舞いにも行けないらしい。」と聞かされた時、Fにはピン!と来るものがありました。

局長の奥さんの入院先を調べた彼は、早速果物籠を持ってお見舞いに行きました。

奥さんに会うと「局長にはいつもお世話になっています。私の友人も局長の下で仕事をしており、彼から『奥さんが入院されたにもかかわらず、局長はお仕事が忙しくてお見舞いに行く事ができない』とお聞きしましたので、日頃お世話になっている局長に恩返しをするためお見舞いに参りました。」と告げました。

それからは毎日のようにお見舞いに行き、体が痛い時は何時間も体をさすったり、

最後は下の世話までするほどの献身的な身の入れ方に、奥さんの方はすっかり感激してしまったのは言うまでもありません。なぜ見ず知らずの人がこんなに親切にしてくれるのか。こんないい人には今まで出会ったことがない。何か御礼をしなければと思うのは普通の人であれば当然でしょう。

ある時、久し振りに局長が病院に見舞いに行くと、見知らぬ男がかいがいしく妻の世話をしているではありませんか。彼は局長の姿を見るとすぐ立ち去ってしまいました。

局長が聞くまでもなく、奥さんの方から彼がどんなに優しい心を持った人かと言う事を話し始めました。私がいくら御礼をしようと思っても当たり前のことをしているだけだと言って受け取ってくれないと言う事も話し

ました。局長も「今度会った時には先程の人にお礼を言わなければいけないね。」と言いました。

次回、Fは元気の無い様子で奥さんの前に現れました。いつもと違う様子に訳を聞いてみると、「新しく開発する市街地の購入について入札権を持っているという友人を信用してお金を預けたが、その友人に騙され、お金も土地の入札の権利も失ってしまった。」と説明しました。奥さんは「不動産の件なら主人の管轄だから、私が主人に相談してみましょう。」と約束し、何とかするから元気を出すように励ましました。

だと言います。奥さんは「貴方もお礼を言わなければと言っていたし、貴方さえサインすれば許可を与えられるのでしょう。

あんなに一生懸命尽くしてくれた人が困っている時に何にもしてあげないのは人の道から外れてしまうわ。自分のできることをちょっと利用するだけで困っている恩人を救えるのだから。このようなことは他の人もみんなやっていることでしょ。貴方には人情というものが無いの?」と迫ります。

とうとう堅物の局長は、「他の者もやっていることだし、お世話になった人への恩返しに少しくらい今の権限を使っても構わないだろう」と自分自身に言い聞かせ、生まれて初めて彼のために便宜を計る事になりました。

最終的にFは持ち前の商才を生かして莫大な利益を得ましたが、この汚職事件が明るみに出て、局長まで逮捕されてしまいました。

堅物の局長を落とすには奥さんから手を回し、奥さんから人情がらみで夫を口説き落とさせたと言う、中国人の人情にからんだエピソードです。(2,007年10月記?1,926字)

【連載】日中比較文化論~日常生活におけるあんな違い、こんな違い~

曽我井健二

日常生活におけるいろいろな作法や礼儀に関しては、もともと中国から伝わってきたものが多く、古代は日本も中国も同じことをしていました。しかし時代の流れとともにお互いの文化にも少しずつ変化が生じ、今では全く違った形として残されているものがあります。

中国はそのままで日本が変わって行ったものもあれば、本家の中国が変わってしまったにもかかわらず、その文化が伝わった日本がそのまま継承している、といったものもあります。

お辞儀をする日本人と握手をする中国人

近代まで日本も中国も人と挨拶を交わす時は腰を折り、頭を下げる「お辞儀」をしていました。

絶対君主であった皇帝に対する接し方としては、漢代は比較的おおらかで厳しくありませんでした。皇帝に対するお辞儀の仕方でも立ったままで、拱手(両手を前で合わせる作法)し、頭を下げる程度でしたが、後世になるほど皇帝の権力は増大し、清代には「三跪九叩の礼」(さんききゅうこうのれい)という非常にたいそうな儀礼を取らなくてはならなくなりました。

皇帝の前では三回ひざまずき、その度に三回頭を地面に着けることから名づけられていますが、日本でもこれほど厳しいものではなかったにせよ、天皇や将軍に対する礼については、必ずひざまずくか座り、両手を前について深々とお辞儀をしなくてはなりませんでした。

そしてこのお辞儀をする習慣は今でも日本人の社会に深く根付いており、日常生活のいたるところで見ることができます。

よほど親しい友人などであれば別ですが、普通の関係であれば、出かけに近所の人と会った時、「こんにちは」と挨拶し、軽くお辞儀をします。人から紹介を受けた時など改まった時には、「初めまして。○○と申します。どうぞよろしくお願いします。」と言って、やや深くお辞儀をするのが一般的です。

言います。電話で頭を下げても相手には見えないのに、どうしてあんなにぺこぺこ頭を下げているのだろうと思ったそうです。でも中国人にとって、そう感じるのは当然だと思います。なぜなら現在の中国ではお辞儀をする、頭を下げるといった挨拶の仕方は、ほとんど行われなくなっているからなのです。

現代の中国では頭を下げるお辞儀はなかなか見かけません。人を照会された時でもお辞儀をせずに握手をします。社会主義国家が建設されて以来、頭を下げるお辞儀は封建時代の上下関係の名残を残すものとして行われなくなってしまったようです。たとえ紹介された相手が国家主席であろうと、対等に握手をして挨拶をしますが、日本人はやはりお辞儀をする習慣が身に染み付いているのか、握手をしながらお辞儀をしている姿を良く見かけます。中国でこのように握手をしながらお辞儀をしている人がいたら、まず日本人だと思って間違いありません。

私が電話で頭を下げているのを不思議に思っていたA君やB君には「相手が見えないだろうと思っていい加減に対応していると、それは知らず知らずのうちに相手に伝わってしまうものだ。謝っている時に頭を下げている姿は相手には見えないかもしれないが、その態度は不思議に相手にわかってしまうのだよ」と説明しました。はたしてどこまで日本人の気持ちを理解してもらえたかは???ですが…。

日本人は自動販売機にまでお辞儀をする?

中国人から見れば日本人はお辞儀ばかりしている国民だと思われているようで、広州外国語学院(現在の広東外語外貿大学)で日本語を専攻している大学生のWさんから

「この間テレビの日本語放送を見ていて、日本の子供の礼儀正しさに驚きました。自動販売機で飲み物を買う時、日本の子供は機械にも「ありがとう」とお礼を言い、そしてお辞儀までしていました。」と言われたことがありました。私は「それは何かの見まちがいでしょう。いくら何でもそこまでする子はいないよ」と即座に否定しました。

「でも本当に見たのです」と言い張るWさんに、私はしばらく考えて説明しました。

「たぶん貴方がテレビで聞いたと言う『ありがとうございます』と言う言葉は、飲み物を買いに来た子供が言ったのではなく、自動販売機の自動音声だったのではないかと思います。日本の自動販売機の中には音声による案内を内蔵したものもあるのです。お辞儀をしたように見えたのは、出てきた飲み物を取り出すために腰を曲げた時、お辞儀をしたように見えたのではない?」と。これは私の推測ですが、それしか考えようがありません。そこまで礼儀正しい子供がいれば日本の将来も捨てたものではないのですが…。

給料いくら?と平気で聞く中国人

あまりよく知らない人から「貴方給料いくら?」と聞かれたら、日本人ならびっくりしてしまいます。日本人同士ならまずこのようなことを聞くと言うことはありませんが、

中国人の間ではよくあります。

中国人にこう聞かれると、たいていの日本人は、「本当の金額を言えば相手が驚いてしまうだろうし、日本と中国の物価の違い、税金や保険等の天引きされる金額もたくさんあるし、どう答えたらいいのか…」と考え込み、

私も中国人からこのようなことを聞かれたことが何度もありますが、適当にはぐらかしています。「そんなに多くないよ」、「多くないって、どのくらい?」、「家族4人が生活して行くのに何とか不自由しない程度」、「不自由しない程度って?」「中国で私くらいの年齢の人がもらっている給料と比べて、お金の価値から考えれば同じくらい」と答えたりして、具体的な金額は言いません。たいていの人はそれで納得して(あきらめて?)それ以上追求してきません。

日本人にとって、お金のことをあからさまにすることは親しい間柄であってもタブーとされていて、他人に給料の金額を聞いたり話したりするような失礼な人はいません。

でも中国人にとってお金の事を聞くことは決して失礼なことではなく、誰でもごく普通に聞いたりする話であり、聞かれた方も別に何とも思わずに平気で答えています。

もう離婚した?

聞くのは給料のことだけではありません。年齢や恋愛、離婚などと言った普通では聞きにくいようなプライベートな問題でも平気で訊ねたりします。

私の知り合いの女性ガイドのJさんは、金銭問題からご主人とよく喧嘩をし、夫婦仲があまりよくありません。私は彼女と話しをする時はなるべくご主人の話は避けてするようにしていましたが、一緒にいた同僚のGさんは「ねぇ、もう離婚した?」と平気で聞き、聞かれた本人も「ううん、まだ。今裁判所で離婚調停中なの。」と答えます。

Gさんはなおも追い討ちをかけるように、「新しい彼氏いるの?」、「うん、知り合ってまだ2ヶ月だけど、今の旦那と離婚できたら結婚するつもり」、(エッ!別の彼氏がもういるの?それですぐ結婚!?)

そこまで言うか?と思えるようなおしゃべりが続く、ある昼食時の会話でした。

中国人のマナー(礼節)とモラル(道徳)

中国人の友人の家に行くと、アパートの公共スペースの廊下や階段は、各家庭から掃き出されたごみが積もっていたりして非常に汚いことがよくあります。でも一歩部屋の中に入ると外の汚さとは正反対で、非常にきれいに掃除されています。日本では自分の部屋のごみは部屋の中で片付けて処理するのが当たり前ですが、中国では全部廊下に掃き出してしまうので、廊下や階段がごみだらけになってしまうのです。

街を歩いていても、食べながら歩いている人が食べ終わった紙袋や紙コップを平気で道端に捨て行きます。また所構わず、つばや痰を吐いたりする人も多いので、私なんかはどこかで「カーッ」という音が聞こえたら、次の「ペッ!」に備え、思わず道路わきによけてしまう習慣が身についてしまいました。日本でも私たちが子供の頃は時々見かけたことがありましたが、現在ではマナーが向上し、ほとんど見ることはありません。

中国政府でも2008年の北京オリンピックに向け、マナー向上キャンペーンを推進していますが、私は一般の人々のマナーに対する意識をそう急に変えることは難しいのではないかと思っています。

「衣食足りて礼節を知る」という言葉がありますが、人間は誰でも着る物に不自由したり、食べる物が無い時は生きて行くのに必死で、礼儀や道徳のことまでは考える余裕はありません。それらが十分満たされてから初めて、礼節のことを考えることができると言う意味ですね。

くても、他の人が捨てるから同じだ。私一人がマナーを心がけても何も変わらない、だからやっても仕方がない」と考える考え方が無くなりません。

では今後も中国人のマナーや公衆道徳と言ったものに対する考え方は変えることができないのでしょうか?

中国人はいつまでも利己主義で、公衆道徳や公益優先とは全く縁のない社会を維持し続けるのでしょうか?

私は将来、中国も必ずこういった社会道徳感が改善され、公衆道徳の広く行き渡った社会になると考えています。なぜなら日本も同じ道を歩んできましたし、同じ中華民族である台湾やシンガポールの例を見ても、そのことが予想されるからです。ただその日が来るのがいつなのかは、私も大きな物差しで計るしかありません。

北京で1回、広州で2回

マナーとモラルの話をしたついでに中国における犯罪についてお話しましょう。北京で1回、広州で2回とは、私が財布を盗まれた回数です。なんてヘマなことを、と思われるかもしれませんが、彼らの盗みのテクニックは芸術的なほどすばらしい?のです。

まず北京編からお話します。1988年12月、私が中国に駐在してから日本で中国担当になった新入社員のAさんが研修のため北京にやってきました。彼女を中国の旅行社に紹介したり、観光客が行く場所を視察するため市内を案内していましたが、お昼時になったので近くの北京飯店で食事をすることにしました。当時の北京飯店は国賓クラスもよく使用する最高級のホテルで、新入社員のAさんにも見ておいて欲しかったからでもあります。

食事が終わり1階のコーヒーショップで、これからのスケジュールの打ち合わせをすることにしました。(本筋とは関係ありませんが、国賓クラスが宿泊するようなホテルのコーヒーがインスタントコーヒーなのです!ミルクの代わりには頼みもしないのにクリープがすでに入っており、溶けきらずに上に浮かんでいます。しかもたっぷり砂糖も入れてくれているといった親切ぶり。コーヒーに砂糖を入れない私は、「もっと外のところでサービスすることがあるんじゃないの!」と心の中で叫んでいました。)

セカンドバックを横の椅子の上に置き、地図を広げてこれから行くところの場所を教えたり、北京の観光地の場所を教えていました。一通り説明が終わり、そろそろ出かけようと財布の入ったセカンドバックを取ろうとした時、手品のように跡形も無く消えてしまっていたのです。隣にいた私も、前に座っていたAさんも全く気がつきませんでした。中には財布のほか、パスポート、居留書、事務所と自分の部屋の鍵、それに日本人商工会の忘年会カラオケ大会でもらった最優秀歌唱賞?副賞の「M日本食レストラン」500元食事券(その当時の2万円相当額)が入っていました。「財布はいいから食事券だけでも返せ、ドロボー!」と叫びそうになりました。

次は広州編です。広州ではドロボーを目撃しているのですが、まさかそれがドロボーだとは思いもよりませんでした。

1日の仕事が終わり、我社のS部長とKさんの日本人3人で近くのレストランに夕食に出かけました。円卓に3人で座り、私は着ていたスーツの上着を自分の椅子の後ろに掛けました。食事が終わり、支払いをしようとしてスーツの内ポケットに手を入れると、財布がありません!どうして財布が無いのか不思議に思っていたところ、Kさんが「総経理の後ろに携帯電話をかけている中国人がやって来て、電話をするのならどうしてほかの空いているテーブルの所でしないのかなぁと不思議に思っていたのですが、食べる方が忙しくて、注意して見ていませんでした。」と言うのです。S部長も「私も見ました。どうして総経理の後ろで電話するのか、変な男だなあと思いましたが、いつの間にかいなくなっていたので、気にしていませんでした。」と言うのです。私は後ろにいたという男の存在にまったく気がつきませんでしたし、内ポケットの財布を盗ろうとすれば、椅子の背もたれの前から手を伸ばさなければならず、本人や一緒に食事をしている仲間の目もあるはずなのに、よく盗めたものだと感心するやら、腹が立つやら…。

对马林诺夫斯基《文化论》的认识与解析

龙源期刊网 https://www.wendangku.net/doc/453804004.html, 对马林诺夫斯基《文化论》的认识与解析 作者:王天歌卢静 来源:《教育界·下旬》2018年第02期 【摘要】马林诺夫斯基所著的《文化论》,代表了早期功能主义人类学的最高成就。文章对全书二十四章内容逐一进行了梳理解析,对作者的核心思想和文化观进行了概括总结,提出我们只有认清文化的差异和文化历程,才能知道不同地域文化发挥着不同的作用。 【关键词】马林诺夫斯基;《文化论》;文化功能 马林诺夫斯基是英国人类学家,现代英国人类学的奠基人。他对太平洋新几内亚地区的原始部落,特别是特罗布里恩德群岛进行过多次田野调查,他的多部著作都是以此为基础写成的,是人类学田野调查范式的开创者。马林诺夫斯基最大的贡献就是将田野考察和理论研究结合起来,提出了新的民族志的写作方法。其代表作《西太平洋上的航海者》至今仍是民族志写作的典范,该书和《文化论》一起对后世产生了深远的影响。 马林诺夫斯基在学术上对进化论学派、传播论和历史特殊论都持反对态度。他认为,作为物质的器具和社会意识,只有在满足人们的生理需要和社会需要时,才能保存和传播,若失去了这类功能,发挥不了作用,便会在历史上消失。 《文化論》作为马林诺夫斯基最重要的理论著作之一,集中体现了他对文化功能的理解,可以说是人类学功能主义理论比较全面和系统的一个总结。马林诺夫斯基认为,文化包括如下四个方面。一是物质设备,如器物、房屋、船只、武器等,它们是文化中最显明、最易把握的方面,决定了文化的水准和工作的效率。二是精神方面的文化,包括各种知识以及道德上、精神上和经济上的价值体系,社会组织的方式和语言。而“标准化的、身体上的习惯或习俗,亦即机体上较巩固的修正”,是精神文化最基本的要素。三是语言,它是文化整体的一部分,但不是一个工具的体系,而是一套发音的风俗及精神文化的一部分。四是社会组织,它是物质设备与人体习惯的混合复体,是集团行动的标准规矩。它依靠外在的规则、法律习惯等手段进行维系,这些手段的内在根据则是个体的良心、情操等道德动机。马林诺夫斯基还认为,不同的文化功能构成不同的文化布局,文化的意义依它在“人类活动体系中所处的地位,所关联的思想,以及所有的价值而定”。在其结构功能主义理论思想下:文化是社会结构体系的工具,文化功能的发挥受各种社会结构层次的制约,文化体系不仅决定人的价值观念,也构成人的行为准则。 《文化论》以洗练的语言,阐述了作者对文化的基本主张,浓缩了作者对科学文化理论探索的精华,代表了早期功能主义人类学的最高成就。全书分为二十四章,每一章都有明确的研究指向和范例。笔者认为,为了便于对该书做全面深入的了解,我们可以将其分为四个部分来阅读。第一部分是第一至第四章,作者开篇提出了人类的错综复杂和文化差异的关联性,对文化做了定义,并且阐述了文化的四个基本方面,着重强调了对精神心理的认识,最后通过对进

中国文化通论

导论 1、四大文化系统:中华文化系统、印度文化系统、阿拉伯文化系统、西方文化系统。 2、对文化概念的理解:《易经系辞下》、程颐、宋濂、刘向《说苑指武篇》。 3、广义文化与狭义文化:从广义来说,指人类社会历史实践过程中所创造的物质财富和精神财富的总和。从狭义来说,指社会的意识形态,以及与之相适应的制度和组织机构。 4、传统文化和现代文化:传统文化产生于农业时代,主要是指封建社会的文化。现代文化产生于工业时代和信息时代。 首先,民族文化的发展,不能脱离在长期的共同地域、语言、心理等基础上所形成的民族创造精神。 其次,传统文化并非静止不变,传统文化一经形成,随着历史的发展和时代的变更,其形式和内容都会发生不同程度的变化。 最后我们要知道中国文化也有负面,我们认识和弘扬优秀的,同时不回避了解其拙劣的并加以摒弃,避免被某种优秀所征服,避免被简单的道理说服。 5、地理环境 P5 6、农耕经济:考古发掘证明,在距今约6000年的仰韶文化遗址、河姆渡文化遗址已见谷类遗痕或稻谷遗迹,发现了石镰、石锄等。 在南方的农耕经济是古代中国立国的基础,也是传统文化赖以发生和发展的经济基础。在中国北方则生活着游牧民族,发展着游牧经济。 7、传统农业模式风格特征:农民大多聚族而居、自给自足、安土重迁。 8、中国文化的基本有四大特征:人文性、包容性、伦理型、和谐型。(务实精神) 第一编制度文化 第一章经济制度 1、经济结构特点:1、耕织结合的小农经济在经济结构中长期占据主导地位,以生产粮食为主,家庭手工业只是维持生计的补充手段。 2、中国古代除农村封建土地所有制结构外,又存在城市经济结构。 3、出现游牧经济结构,占第二主导地位。 2、商品经济难发展的原因:1商品经济不能摆脱农业社会经济结构和牧业社会经济结构的制约 2,官商盛行; 3,城镇中形成的手工业行会制度,具有很强的封建性、家族性。 4商人经商致富后,往往喜好置田产、开当铺、或放高利贷使利润增值。 3、中国传统经济思想:重本抑末、重义轻利。 P24 第二章政治制度 1、秦朝以来所确立的封建中央集权制的君主专制政体,延续了2000年之久,这种政体具有下述三个基本特征:1、君权至上 2、皇权不可转移,皇位父死子继 3、官僚系统庞大。 2、政治文明的成就:1、为君之方:亲贤远佞2、为政之道:倡导德治 3、治国之道:以民为本。

新媒体产业研究报告:用户行为分析

新媒体产业研究报告:用户行为分析 新媒体用户对新媒体的认知 中投顾问《2016-2020年中国新媒体产业投资分析及前景预测报告》指出,新媒体用户行为表现如下特征:新媒体用户对新媒体的认知仍存模糊。 新媒体相对于报刊、户外、广播、电视四大传统媒体,是新的技术支撑体系下出现的媒体形态,如数字杂志、数字报纸、数字广播、手机短信、移动电视、网络、桌面视窗、数字电视、数字电影、触摸媒体、手机网络等。 大部分人对新媒体范畴有一个较为合理的认知。但仍旧存在着对新媒体范畴理解的模糊:27.6%的人认为户外媒体是新媒体,24.0%和23.8%的人分别认为纸质杂志和纸质报纸属于新媒体,21.5%的人认为广播电台属于新媒体,20.9%的人认为不能联网的电视属于新媒体。 图表中国新媒体用户对新媒体范畴认知分布 数据来源:中投顾问产业研究中心 新媒体使用率 一、新媒体正在逐步取代传统媒体成为使用率最高的媒体形态 新媒体正在逐步取代传统媒体成为使用率最高的媒体形态。常使用的媒体形态中,使用视频类网站/客户端/App的新媒体用户从五年前的24.7%,提高到最近三个月的64.9%;新闻客户端从五年前的15.1%提高

到近三月的58.6%;互联网电视和音频类网站/移动电台App也有相似的趋势。相比之下,以纸质报纸,纸质杂志,电视,广播电台等传统媒体的用户使用比例下跌明显。 图表新媒体用户媒体选择分布 数据来源:中投顾问产业研究中心 二、互联网电视拥有率超过传统电视拥有率 我国新媒体终端普及程度已经较高,新媒体用户群体使用多种新媒体终端设备和跨屏使用行为也较高。数据显示,新媒体用户互联网电视拥有率达48.9%高于传统电视47.3%,智能手机仍然是拥有率最高的新媒体终端。目前智能手机的拥有率已经相对较高,互联网电视和平板电脑的拥有率将会进一步提升。 三、跨屏时代——近七成用户看视频的同时“玩手机” 68.5%的新媒体用户在观看视频的同时“玩手机”,38.5%的新媒体用户选择同时使用笔记本电脑或者台式电脑。看电视时“多任务”现象的普遍存在,在观看视频的同时,互联网用户会用其他设备进行在社交网络交流等行为。 针对电视媒体和视频的多任务现象,相关行业可以创造方式实现多屏互动,比如可以在社交网络上广泛传播,通过互动等方式吸引观众注意力,从而提高媒体的触达率。 图表中国新媒体用户观看视频伴随行为 数据来源:中投顾问产业研究中心

关于布置作业的有效性研究报告

关于布置作业的有效性研究报告 一、问题的提出: 要研究作业的有效性,首先我们得明确一个问题:作业观的问题。所谓“作业观”,可以说是关于作业的一种本能的、习惯性的、总体的看法。在长期的教学实践中,我们很多教师无形当中形成了一种几近一致的“作业观”。这种“作业观”大致有以下特征:其一,作业是教师布置的有着明确答案的一道道练习题,它通常是书面的,所以做作业也叫写作业,当然有时也有非书面的,如背诵课文、记住定义等;其二,作为作业的练习题是对教材或课文梳理、归纳的结果,总是力求能够体现教材内容的要点、重点和难点;其三,努力追求平时作业题型与日后考试题型的一致性,“模拟试卷”式的作业就成为人们理想的作业形式。由于我们的教学顽强地恪守着学科中心,通常是把教材作为唯一的课程资源,学生在学校里学习几乎变成了就是学课本,再加上应试教育倾向的影响和制约,这种“作业观”的形成就是理所当然的事情了。 作为学生固然需要素质教育,但源于我们的国情和现状我们的研究高考、面向高考,但这与素质教育是不相矛盾的,完全可以相互促进、我们完全可以培养出极高分又高能的学生,当然就要求我们研究教学、研究作业与习题设计。许多年来,关于作业,不少教师有过探索、研究,也正在向素质教育方向发展,有了一定的进步,但仍存在一些不可小看的问题: 问题一、当前教育特别是初中、小学为提高分数,应对检查任务,布置大量作业,导致很多学生做作业在很大程度上是为了完任务,这种习惯进入高中之后,仍然延续和发展,导致做作业积极性不高,使学生没转变自己作为学习的主体的观念,积极主动地参与课堂学习与训练,严重降低了作业的有效性。 问题二、在当前我们高中有些教师练习搞题海战术,形成这样的思维,布置作业也大搞题海战术,追求所学知识的全面性练习,造成了大量重复的训练。这样实际上是没有把握住主干、重点知识和KCB齿轮油泵基本技能的训练,造成学生在重点知识上没有突破,并且与教育目标和高考相适应的基本技能也未得到提高,既浪费了时间又加重了学生的负担,不利于当今教育三维教学目标的施展与培养。 问题三、我们很多教师在布置作业中不但作业质量不高、未经过精选,还缺乏具

日本文化论文

中日文化认识的差异 摘要:我们中国的传统节日被遗忘了,被西洋节日入侵了。大多数人没有想着去过中国的一些传统节日。特别是青年人都不愿意过传统节日。而日本人却用他们的灵活性把东西方的两大文明有机的融合、吸收、消化,最终创造出了独特的日本文明。 关键词:中国日本茶胡服节日 正文: 日本是位于太平洋西岸,是一个由东向西延伸的弧形岛国,西隔东海,黄海,朝鲜海峡,日本海与中国,朝鲜,韩国,俄罗斯相望,北面与库页岛、西伯利亚隔海相望。陆地面积377880平方公里,包括北海道,本州,四国,九州四个大岛和其他6800多个小岛。领海面积310000平方公里。日本境内多山,国土的四分之三以上是山地和丘陵,仅沿海一带分布着狭小的平原,临近东京湾的关东平原是日本最大的平原。这种独特的地理位置,不仅能使传统民族文化能够很好的保存下来,而且与亚欧大陆国的交流也变的更加方便,取其精华,去其糟粕。因此,自从日本国对外开放以来,在无形之中形成了再吸收提取外来文化的同时也要保存自己原有的文化基础这种社会制度。 对于日本来说,中国是个大国,自中国而来的东西历来都是受到重视的,因为他们坚定的认为中国这个大国认为有价值的东西一定是有价值的,所以有时候,他们对于中国文化的笃信甚至超过了中国人自己,在日本有一个江户医学,把中国传入的医书几乎本本奉为经典,尤其是对于医圣张仲景的《伤寒论》,真的是奉为圭臬,已经到了一个字研究的地步,这也是受了清代乾嘉学派考据学的影响,可以说日本人恪守中国学问准则的程度几乎天下第一。很多中国古籍的保存和整理都得益于他们,这一点是历代中国人都应该惭愧的。但是这也是日本人求真的结果,同时可以看出这个民族做事很认真。 日本人的席地而坐,木屐、踏踏米、和服什么的都是由中国传入的,其原产地在中国南部的云南省,而喝茶的习惯则是在纪元前数百年前就已经开始,大约是前汉的时代,而茶的兴盛大约是在唐朝,日本人好多风俗习惯都是仿照唐朝的:日本人利用汉字的偏旁创造了他们的文字,日本当时的都城平城京,城市建造布

《中国文化概论》自考重点

《中国文化概论》 第一章绪论 一,文化的定义 今天通用的文化一词,是近代学人在翻译解释西方相关词语时,借用中国固有的文,化及文化,并加以锻炼,再创造而成的。 中国古代“文化”的概念,是指文治教化的总和,与天造地设的自然,即天文相对称,叫做“人文”,与无教化的质朴,野蛮相对叫做“文”,即文与质,文与野相对,基本属于狭义的文化。 文化和西方对应的词,拉丁文和英文都叫culture. 英国人类学家泰勒的定义:文化是一个复杂的总体,包括知识,信仰,艺术,道德,法律,风俗以及人类在社会生活里所得一切能力与习惯。 冯天瑜(武汉大学),何晓明等认为凡是超与本能的,人类有意识的作用与自然和社会的一切活动及产品,都属于广义的文化,或者说“自然地人话”,即是文化。 1989年出版的《辞海》把文化的概念分为广义和狭义两种,广义文化:它是指是人类在长期的历史发展中共同创造并赖以生存的物质与精神存在的总和,狭隘指社会的意识形态,以及与之相适应的制度和组织机构。 文明有光明,文德彰显的含义,其文明部分与文化相交叉,后来文明也只文明的进步状态,而与野蛮相对,因此,近代以来,学术界用文明一词来翻译英文中的civilization,其本身有两方面的含义,一是有文雅之意,二是有政治文明方面的含义,与国家的概念相适应。 从现在意义上讲,文化与文明是两个概念,既有联系又有区别,文化是指人类创造的所有物质成果和精神成果的总和,而文明是指达到一定发展水平的文化成果,他通常与国家的概念相对应即通常指国家文明。 二,文化的分类和内部结构 文化概论有两个概念,一是中国文化史,二是文化学。 文化可分为物质文化和精神文化两大类别。 物质文化和精神文化两大系统又可进一步分为不同类型的文化: 1.物态文化,是人类所从事的物质生产活动及其产品的总和等各种物态实体,以及制造这些物态实体的技术。这些物态实体不仅 渗透着人们的价值观念,审美意识,还包括着技术和科学技术知识。如四大发明 2.文学艺术 3.行为文化,是人际交往中的约定俗成的习惯定式,也可以叫风俗文化,是一种以礼俗,习惯,风尚及各种社会组织(婚姻,家 庭,社团,聚落)形态出现的,见之于行动的行为模式。 4.制度文化,指政治,经济,军事,司法,外交等各种制度及运行机构,以及社会,民众对这些制度产生的文化回应。 5.心态文化,又叫观念文化,社会意识形态,它是人类在社会实践和意识形态中长期孕育出的相对稳定的个性特征,价值观念, 审美情趣,思维方式。 三,学习研究中国文化概论的意义 (一)中国文化是爱国主义和中华民族凝聚力的源泉。在中国文化中,曾累的堆积着中华名族的高度智慧,高超技艺和高尚品德,学习研究中国文化史,了解中国丰富多彩的文化成就,能激发我们的民族自尊心和自豪感。 (二)通过对中国文化史的学习和反思,明确他的形成,中国个性特征,价值观念,思维方式等方面的长处和弱点,了解它在适应现代化社会生活方面的优势和缺陷,自觉有效地进行文化素质的培养和塑造。 在饮食文化中,中国人是植物性,吃热食。 (三)利用文化是方面的研究成果转化为经济效益。 (四)在社会与文化的转型期,将文化史的内容和研究成果作为重铸现代文化心理,价值观念和社会精神文明建设的文化资源。尤其是在社会主义市场经济价值规律下,为职业道德的转型建设提供文化资源。 (五)学习中国文化概论,了解中国的国情,接受民族精华的洗礼,走出世俗偏见的俗区,以文化的眼观观察社会,体味人生,提高社会工作者的文化素质与能力。 1.要做好社会工作,首先要了解社会,也就是了解中国的国情。 2.在中国传统文化中,有许多有关社会救济,救助,福利的社会工作思想,它们是我们社会工作者继承创新的前提。 3.由中国文化概论转变出的应变能力,创意能力和综合素质,是一个文化工作者必备的素质。 4.社工专业的本土化是源于西方社工专业理论与中国社会需求的一个适应过程和消化过程。 四.中国文化概论的参考书 中国人最早的文化史著作是梁启超的《中国文化史稿》 第二章中国文化研究的回顾与反思

新媒体研究的现状

新媒体与网络传播就其本质而言相互联系。随着信息化网络技术的不断推进,博客、播客,维客、手机媒体、数字报纸、数字杂志、数字广播、数字电视、SNS、RSS、P2P等越来越多的新产物成为这一领域的亮点。可见,网络并非物质载体而是虚化的技术,它与报纸、广播、电视等传统媒体之间的壁垒已逐渐破除。随着网络技术的演进,这样的媒介会更多。可见,新媒体是以网络为基础集纳多种媒体功能和无线通讯技术的新的媒介形态,是多种传播形式复合的媒体,强调的是一种信息的融合,而非区别。当今,新媒体革命推动的不仅是传媒产业的迅猛发展,更是整个社会系统的优化统筹。在新媒体环境下,全球正逐渐成为一个网状传播整体,以美国为首的西方国家更是不断利用网络信息技术占领意识形态的制高点。 根据中国互联网络信息中心(CNNIC)2011年1月发布的《第27次中国互联网络发展状况统计报告》显示,截至去年底,中国微博用户规模达到6311万人,使用率为13.8%,手机网民中手机微博的使用率达到15.5%,青少年网民则占整体网民一半左右。根据《中国社会舆情与危机管理报告(2011)》蓝皮书显示,在2010年138起社会舆情热点事件中,新媒体首次曝光的为89起,占比65%,比2009年的56%提高了9个百分点;传统媒体曝光的为47起,占比34%,相比2009年下降10个百分点。(参照最新)。一方面,新媒体研究的方向越来越务实.研究方法逐渐由理论研究向实证研究发展。理论研究者进入媒体调研指导,媒体从业者加入了研究者行列,政府管理者也进入了媒体管理平台。以往实践成果先于理论成果,或者研究与实践运作“两张皮”的局面正在被改写。这些研究都大大促进国内媒体研究的务实化程度。另一方面,从媒体经营管理角度、受众角度、文化批判角度来对新媒体进行研究的案例不断上升。可见,随着新媒体技术的渗透性发展,新媒体研究的视线已延伸到社会信息传播的方方面面。对于高校思想政治理论课而言,如何更好的把握新媒体环境的构成、基本特征、特有语言、功能和作用,从新媒体环境角度去审视、分析高职学生的思想政治现状、成因和方法论体系的研究,也是思想政治理论课教师研究的重点和难点。

浅析中西文化差异在酒文化中的折射_肖艳

安徽文学 2010年第 期 10 245 浅析中西文化差异在酒文化中的折射 ◎肖艳 (四川外语学院研究生部 重庆 400031) 摘要酒在人类生活和文化中有着其独特的地位,且在中国和西方国家也形成了风格迥异的酒文化,而表现于酒文化中的异同正是与中西方在历史进程、价值观念、思维模式、生活背景和传统习俗等方面的异同息息相关。在当今全球化信息化的时代,酒融会贯通了人们生活和人际交往的各个方面,了解中西方酒文化的不同及其折射出的文化异同有着其特殊的研究意义,也有助于中西方人民的跨文化交流。关键词酒文化差异中西文化折射文章编号1671-0703(2010)10-245-02 酒,作为一种饮品,它深入千家万户,无论是为了爱情友谊、宴客婚嫁,还是为了交际谈判、消愁解闷,酒几乎渗透到了一切的人类活动之中。酒伴随着人类,走过了悠久的岁月,它不仅仅是一种客观的物质存在,而是代表了一种文化。每一种酒的发展,都来源于一代又一代劳动人民的探索和研究,是劳动人民生产经验的总结和智慧的结晶,人们可以通过酒文化了解其中折射出的中西方文化历史。而由于生活环境、历史背景传统习俗、价值观念、思维模式、社会规范以及文化底蕴的不同,酒文化作为一种深刻的文化现象,也在中西方各个国家、各个地区有着各不相同的内涵,呈现出风格迥异的特性。 一、酒的起源 关于酒的起源,大体分来,中国人主张酒是由人通过种种工艺酿造而成的,而西方则普遍认为酒是由神创造的。酒在中国历史上可谓是源远流长,关于酒诞生的说法也有很多,而为人们所普遍认同的是杜康造酒说:相传杜康是位牧羊人,于放牧中不慎丢失装有小米粥的竹筒,半月后竹筒复得,竟意外发现小米粥发酵而成为醇香扑鼻的琼浆。杜康于是弃鞭停牧,创酒坊,酿美酒,开酒肆,售佳酿,一举成为天下闻名的酒圣。而“杜康”也成为酒的代名词。古书中说杜康“有饭不尽,委之空桑,郁结成味,久蓄气芳,本出于代,不由奇方。”杜康因此成为酿酒的鼻祖。 西方关于酒的起源也有许多,大都把酒解释为神造的产物,是属于人类的神赐的礼物。古埃及认为酒是由死者的庇护神奥里西斯发明的,而希腊人认为酒是由酒神狄奥尼索斯(Dionysus )带到人间来的,是酒神赐给人们的礼物,也是人们丰收的象征。相传狄奥尼索斯是从神之父宙斯与底比斯公主西姆莱所生,长大后流浪于小亚细亚色雷斯和希腊,到处传授种植葡萄和酿酒的技术,酒便在欧洲在陆上渐渐盛行起来。酒神带着他的随从四处流浪,所到之处便飘起了酒香。 相比而言,虽然汉语虽有“酒神”或“酒仙”的叫法,却是指酒量很大的人,或是古时对酷好饮酒之人的美称,两者均与神话无关,更与西方文化中的“酒神”(Dionysus )不同,在现代的跨文化交际中需要有所区分。而在神话传说之外,考古发掘表明,在万年之前的新石器时代晚期,东亚华夏地区(黄河流域和长江流域)与西亚北非地区(两河流域、尼罗河流域)就开始了农耕革命,而在农耕时代的初期,中西方古人在种植农作物的过程中几乎是同时开始了人工酿酒。 二、酒的种类 纵观各类酒品不难发现,东方以酿造米酒为主,而西方则以啤酒和葡萄酒为主。中西方酒在种类上的差异也与其背后蕴含的文化差异密切相关。这是因为在农耕时代初期,中西方由于地理及气侯因素的不同,形成了不同的农作物种类,华夏文明的起源中,主要的农作物是米类,黄河流域以种植抗旱耐瘠薄土壤的粟(小米、谷子)为主,而长江流域多栽培性喜高温多湿的稻(大米),古代的华夏中国幅员辽阔,气候温和,沃土良多,极适宜农作物的耕种,因此米类粮食产量大、品种多,人们一直用小米、大米等谷物制造米酒,因此,中国盛行的是“米酒文化”。与之不同的是,西方文明的起源中,主要的农作物是麦类,众多考古发现表明,早在远古时代,巴比伦人就已用小麦制成啤酒,远古埃及人也有如何酿造啤酒的记载,且西方国家大多以畜牧业或者商业为主、农业为辅,许多地方的气候和土壤等不适宜大多数农作物的生长,却对葡萄的生长非常有利,因而,在西方国家葡萄的产量和品质都首屈一指。在这样的条件下,西方的人们可以大量地用葡萄酿制并享用葡萄酒,所以古代西方盛行“啤酒和葡萄酒文化”。 可见,中西方酒种类之不同,反映出的是中西方不同的地理环境及农耕文化。直到近代,中西方的酒品才通过文化的交流而为相互所知并传播接受。

(完整版)小学数学作业设计的有效性研究中期报告

《校本化数学作业的有效性研究》 中期研究报告 此课题的研究我们尝试了将近一年了,为了使课题研究落到实处,全体课题组成员共同努力,通过一个阶段地实验和研究,教师的学生观渐渐地发生了转变。现在我们大部分学生体会到数学并不那么枯燥乏味,离我们并不遥远,原来它就在身边,从而对数学产生亲切感。通过一个阶段地实验和研究,提高了课堂教学的质量、促进了教师的专业化成长。老师们在课题研究的过程中,渐渐养成了勤学习、勤实践、勤反思、勤总结的习惯,变得会教、善教,教学能力、科研能力也得到了提升。数学活动的有效性明显提高,也取得了一定的成果。现回顾如下: 一、课题研究组成员的学习情况 1、加强理论学习和培训力度。 全体数学教研组的教师认真学习数学新课程标准,并通过对修订前后的教材及教学用书进行对比,促使每个教师对教材编排有整体的认识,以促使教师更好地对教材进行驾驭、重组,落实大教材观,促使每个教师都能成为教材的创编者。只有对教材有个清晰的认识才能使组织的数学活动更具实效。在课题研究中,老师们除了各自研读以外,还一起进行交流,记录心得体会,以求融会贯通,对课题研究有所帮助。

学校领导还为教师提供充分的条件,搭建平台,通过走出去,请进来的方式,鼓励教师多学习、多思考。组织教师参加各级教研活动,在活动中,通过不懈的学习,让教师对教学中产生的一些问题有更深一步的思考,改进了教师的教学行为,提高了数学活动的效度。 2、互动教研促课题发展。 课题实施以来,学校教研组开展了校本参与式研讨,为教师提供经验交流与解决困惑的平台,并与五汛镇中心小学进行互动教研,把在课题研究中的一些困惑拿出来一起讨论,正所谓人多力量大,想出来的点子和解决的方法也很多,促进了课题的发展。 二、阶段性的研究过程 在全体教师的共同努力下,课题研究顺利进行着: 1、在课题研究中,课题小组成员认真学习了“新课程标准”、“课题方案”以及有关练习设计教学的多篇文章。老师们除了各自研读以外,还一起进行交流,记录心得体会,以求融会贯通,对课题研究有所帮助。并进行班班对比的形式,用不同的练习来进行教学,并加以比较,并作好记录加以反馈。 2、教师的教与学生的学都发生了明显的变化。 课堂上教师更注重数学练习的设计,注重和谐、民主师生关系的建立,激发了学生参与数学活动的积极性;让学生学得经松,学

日本文化论文

西安工业大学 日本文化 姓名学号 专业 院系 2013年5月

通过上选修课——现代日本社会与文化,我爱上了这个有着很浓郁民族特色的,有着自己独特的地理条件和悠久的历史的国家——日本。而谈起日本,就不得不说说它那别具一格的文化。下面我就就日本文化的饮食文化、企业文化、日语文化这三个方面进行我的论述吧。 一、日本文化之饮食文化 1. 日本饮食文化的三大特点 食物是一切文化的基础。在饮食文化方面,作为“世界第一的杂食族”,日本人的饮食结构是很值得探究的。因为它能反映日本人的精神结构、社会结构及认识事物的方式,反映日本的文化性格和文化特色。 早在绳文时代,日本已经有了明确的两性分工:妇女采撷坚果,男子打猎捕鱼。以后,随着水稻种植技术传入日本,日本人的饮食结构发生了很大的变化,但是,杂食这一基本特性却并没有因此而改变。相反,他们的食谱随着社会的发展而愈加丰富。 由于自然环境的影响,日本的畜牧业曾经不太发达。同时,在历史上,由于牲畜主要用于耕地拉车而非食用,以及佛教禁忌杀生,因此,有相当长的一段时期,日本人的肉类摄入量一直不足。但是,最近几十年,这种状况已有改变,肉类作为饮食结构中的重要组成部分,日益与鱼类“分庭抗礼”——日本四面环海,在日本可以品尝到的海鱼达三百种以上,日本人自称“彻底的食鱼民族”,以最大限度地利用海产品而自豪。第二次世界大战后,日本人的平均寿命和身高、体重均有显著的增长。产生这种状况的一个最主要原因,按照赖肖尔的说法,就是“食物更加丰富多彩。” 日本人在饮食中兼收并蓄的特性,和他们的思想观念有密切的关系。由于中国“阴阳五行”说的影响,日本人认为,万事万物均以“平衡”为第一要义。由于各种食物均有“阴阳”之分,自古以来,日本人始终贯彻杂食的原则,以保证“阴阳”的平衡。正是这种观念,使杂食成为日本饮食文化的一大特色。 日本饮食文化的另一特色是“生”和“鲜”。按照日本人的观念,新鲜的东西是营养最丰富、体内所蕴含的生命力最旺盛的,任何生物的最佳食用期是它的新鲜期。日本人喜欢将食物生吃,不仅生吃各种蔬菜和各种植物,而且生吃鸡蛋,生吃鱼,生吃肉。按照现代医学的观点,新鲜有助于卫生,时鲜则有助于健康。因为,“时鲜”之际,生长激素最旺盛,营养价值当然最高。日本人很久以前就已认识到这一点,在《万叶集》中屡屡可见的食用“时令”物的叙述,无疑就是一种证明。 日本饮食文化的第三个特点是“追求造型美”。日本饮食讲究“艺术性”和“优雅感”。在日本的食品中,其名称与自然景物有关的约占总数的一半以上,如松风、红梅烧、矶松、桃山、牡丹饼,以及州滨、时雨、越之雪、落雁,等等。除了名称以外,凡是到过日本的中国人或许都会感觉到,日本的菜肴与其说是让人饱口福,倒毋宁说是让人赏心悦目。 最近几十年,日本人的生活方式在各个方面均发生了深刻的变化,其中最剧烈的变化莫过于日常饮食。今天的日本,随着人们口味的多样化和西方文化的不断影响,各种食品充斥市场,烹调方式也各有千秋。 从欧式面包到方便面,从麻婆豆腐到通心粉,从十六世纪传自葡萄牙的“天麸罗”(油炸食品)到十九世纪中叶一些离经叛道的医科学生发明的“寿喜烧”(音译“司盖亚盖”,意为煎烤牛肉),从法式大菜到韩国烧烤,从麦当劳汉堡包、肯德基炸鸡到泰国、印度小吃,应有尽有。可以毫不夸张地说,当今的日本已成为“世界食府”,它与日本多元的民族文化特征互为表里。 2.日本饮食文化之种类 日本料理的种类很多,比较有名的料理有:怀石料理。按照字面来解释,就是怀中抱着

新媒体用户研究第六章知识点整理

第六章现实时空与媒介化时空共同笼罩下的用户 第一节碎片化的时间、交错的时间轴 移动互联网应用,既使得碎片化时间被利用,也把时间切割成碎片,各种不同起点与刻度的时间轴再用户那里被交错地联结在一起,某些时候也模糊了人们对时间的感知,模糊了现实时间与媒介化时间的界限。 (1)碎片化时间 互联网和移动终端的发展使人们的媒介使用时间逐渐零碎化,人们随时随地都可以接收信息、传达信息、选择信息,而不需要像电视时代那样等待固定的节目播放时段。微博、微信等社交平台对人们的信息表达提出了简短化的要求,同时也使人们接受到的消息更加简洁直接,培养了人们碎片化、个性化的信息需求和表达方式。 (2)媒介时间 直播的发展使人们共同收看同一事件或节目的惯性在新媒体时代得以保留,除了个性化、碎片化的信息需求,人们也需要统一收看重大事件或活动,以获得共同的公共交流基础。对重大事件的直播,如70周年阅兵,也有利于增强民族凝聚力和民族认同感,使人们的爱国热情在观看直播的瞬间高涨。 (3)私人时间轴 在今天的移动社交或服务平台里,作为独立节点的每个用户都可以基于自己的账号建立自己私人化的时间轴,这也是用户自己营造的媒介化时间。虚拟空间中私人化时间轴的建立,使个体的现实生活在虚拟空间中的“投影”有了更清晰的个人化坐标,将现实生活与虚拟生活在时间维度上统一起来,提升了个体的独立存在感。通过权限设置的方式,个体的私人时间轴可以和他人的私人时间轴交织起来,也可以在需要时被独立出来,形成内容有所差异的、面向自我和面向社交的时间轴。人们可以在多平台建立多个时间轴,将不同类型的活动与状态刻录在不同的时间轴轨道上,多轨时间轴的混录共同构成个人的生活轨迹。 (4)实时/延时 在互联网中,“实时”有不同的含义,通常所说的“实时”包括:与事实发生同步的实时传播、与信息传播同步的实时接收、各主体间同步的实时行动或互动等。相对地,我们通常所说的“延时”则主要包括:事件发生后的延时传播、信息传播后的延时接收、主体间的延时行动与互动等。 在社交策略上,人们也可以选择实时回应或延时回应,这也侧面体现了人们关系的发展阶段、关系性质、对互动对象的情绪与态度、社交表演的难易度等。 (5)“多线程” “多线程”是用户在网络生存中的一种特点与状态,即常常处于多道任务的并发处理之中就像计算机并行处理多道程序时的状态。随着互联网的发展,“多线程”“并发性”的行为特征必将在相当一段长的时间内,成为人们行为的常态。 尽管看上去短期内有些用户的潜力会因此被进一步激发,但长期的多道并行处理,会带来信息过载,使用户的注意力难以集中,处理任务的效率反而下降,也可能导致人的记忆能力减

《小组合作学习的有效性研究》开题报告

《小组合作学习的有效性研究》开题报告 龙江镇中心学校 课题名称:小组合作学习的有效性研究 负责人:王德成 课题成员:赵刚纪海艳 一、课题提出的背景 《新课程标准》在“课程的基本理念”中提出了“积极倡导自主、合作、探究的学习方式”、“学生是学习和发展的主体”。小组合作学习是同学之间互教互学、彼此之间交流信息的过程,也是互爱互助、情感交流、心理沟通的过程。小组合作使人与人之间的交流在更加广阔的时空中进行多维性和交互性。因此,新课改的顺利实施,必使我们对传统课堂教学模式和方法的改造和扬弃,自觉地审视自己的课堂教学行为,通过不断尝试、反思、研究、总结和提高,来推动课堂教学产生实实在在的变化,从而促进教师教学方式和教学行为的必进,帮助学生进行学习方式和学习方法的变化。 二、课题所要解决的主要问题 作为新课堂的实施者,我们深刻体会到自主探究与合作交流往往是密不可分、相辅相成的,且互为补充的。自主学习能否达成预期目标,在很大程度上取决于小组合作的成效如何。因此,我们有必要对“小组合作学习的有效性”问题进行探讨,以利于对课程标准的深度把握和正确实施,以避免采用小组合作学习后,班级课堂教学中相当一部分学生由于得不到参与机会而处于“旁观”、“旁听”的被动地位,使教师对学习过程的干预和控制大大降低,更多的是给予引导和激

励,赋予全体学生充分的参与机会与权利,让学生在整个学习过程中,始终拥有高度的自主性,自主选择自己感兴趣、能胜任的学习内容,并在小组中担任角色,承担任务,充分展示并发挥创造潜能,让学生在学习中,主动探索、发现知识,在自主学习中不断获取知识,在合作与交流中,用不同的方法认识和解决问题,提高思维能力,促进学生全面发展。 本课题的研究对象1-8年级,追求课堂教学的有效性是本课题研究的最大任务。针对我校目前课堂教学中的不足,因此本课题的研究目标是: 1、本课题通过对农村中小学教学课堂小组合作学习的形式与策略的研究,力求改革农村中小学课堂教”与“学”的方式,努力构建小组合作学习基本教学模式。解决目前课堂学生学习效率不高、解决小组成员的合作学习流于形式的问题。 2、本课题将“面向全体、发展个体和鼓励合作”相结合,通过研究培养学生合作意识,提高学生合作技能,进而提升学生的学习力、竞争力和创造力。 3、通过本课题研究,培养学生的集体观念、团队思想和互助互惠意识,改善并建立民主、平等、和谐的新型师生关系。探索在小组合作学习中师生角色的转变。合作学习要协调师生、学生同伴之间的关系,让学生在小组合作学习中学会合作,学会交流,学会学习,从而为未来发展提供良好的基点。 三、国内外研究状况及本课题与之区别。 小组合作学习研究已成为一个热点,国内已总结出了许多合作学

日本文化论文

日本的樱花文化 “又见繁英放满枝浓桃艳李斗芳姿。平生知己知谁是合有扶桑木屐儿。”我国诗人这样描述英豪的美 而日本情怀的春樱花是——“花如樱美人若武士威”。无论是含苞欲滴、绽放五分还是展颜七分、倾力奔放、不容否认燃烧,热切的粉粉樱色,开一树为一生。樱花绽放的时节,走过樱花树下,枝头上饱满的花苞绽放吐蕊或白或粉红的花瓣为街道染上一层新妆的时候散步在街道上都显得脚步轻松、心情愉快。 一、樱花——日本国花的历史起源 早在远古日本人就将樱花看作是春天的化身是花的神灵。日本人眼中的樱花,美在盛开时的那种执著追求和热烈,美在绽放后飘落时的那种弧高纯洁和壮烈。日本语中的“樱时”(古语)意思就是“春天的时节”。春天来临,人们最关注的就是樱花一年一度的花开花落。樱花是否开花顺利,在古代日本人看来意味着这一年是否风调雨顺五谷丰登。所以,每当花开时节,人们就聚集在樱花树下放歌畅饮,用整个的身心去赞美春天,祈祷神灵的保佑。 这种习惯从古代一直延续到今天,特别是进入江户时代以后,随着日本经济的迅速发展和平民百姓生活水平的提高,观赏樱花更是成为从宫廷到民间约定俗成的最大乐趣。日本人酷爱樱花更乐于赏樱。据说,赏樱在日本已有五百多年的历史这个传统在日语中被称为“花见”。广义地说“花见”的意思是“赏花、观花”。但是只要一提起“花见”人们首先想到的一定是春天里日本各地都要举办的各种赏樱活动。“花见”虽不是法定的节日但它的热闹非凡却不亚于日本任何一个全国性的节日庆典。 每年的3月15日至4月15日,是日本政府规定的“樱花节”。每到樱花时节,皇室和内阁总理都要在皇家花园奉行盛大的“观樱会”宴请并表彰各行各业的优秀人士。一般的企事业单位不管工作多忙,都会放假半天或提早下班并为员工们准备好各种饮料、小吃让员工们去附近公园的樱花树下欢聚一堂开怀畅饮。每到这时,平时安安静静的日本会突然闹腾起来。不论城市、乡村樱花树下总是挤满各种各样的人群吃的、喝的、唱的、跳的、哭的、笑的千姿百态、无奇不有······人们在一起尽情宣泄春的激情与欢乐。 二、樱花对日本文化的影响 日本人喜欢樱花,走到哪里种到哪里,并常以此为礼物赠送给友好的国家。日本人对樱花的喜爱程度恐怕不身临日本,是难以想象的。从古老的《源氏物语》到日本的现代小说,几乎有春天就有樱花的大段描写。樱花不仅植根于日本人的精神世界,而且渗透到日常生活之中。在日本到处都是用樱花命名的街道、车站、市镇、商标、饭菜、茶点、汤饮。文学家

论汉字的文化底蕴

---------------------------------------------------------------最新资料推荐------------------------------------------------------ 论汉字的文化底蕴 1997 年第 4 期汉字文化论汉字的文化底蕴张莉汉字作为书写符号系统 ,不仅是很完满地务 ,同时它又折射出中华民族的传统文化 , 其华夏民族经历了悠悠几千载的沧桑 ,不断一块块化石 , 将古老的汉民族的文化心理、历完成了辅助汉语更好地实现其交际功能的任地前进 ,作为开华夏民族文明史的汉字则正如构字方式中浸透着我们华夏祖先的物质生活史演进的轨迹 , 活生生地勾勒描绘出来 , 再现及精神生活风貌 ,体现出这个古老民族的观察于你面前。 ( 一) 古代社会生产和生活方式和审美情趣 , 因此说 , 汉字又具有深刻的文化内涵。 人类社会的演进 , 大都是由渔猎而畜牧 , 我们这里所谓“文化” 指的是广义的文由畜牧而稼耕。 这些内容反映到文字中得到 , 化 ,即人类在社会历史进程中所创造的物质财了生动的体现。 富与精神财富的总称 ,它包括物质文化和精神渔 ,甲骨文 ( 以下略) 从鱼、从手从线 ,意为文化两个方面。 用鱼杆钩鱼。 逐 ,甲骨文从鹿、从足 ,意为追逐汉字之所以能蕴涵文化意义并且在其发野兽。 虔 ,从网从手从虎 ,意为用手张网捕虎。 1/ 17

展中不断地丰富自己的容量 ,这是由汉字的性摧 ,字形像手持木棒击鸟。 这些文字部分地反质决定的 ,汉字是世界上几种古老的表意体制映了先祖以渔猎为生的状貌。 采 ,甲骨文像用文字中唯一生存至今且呈现出旺盛生命力的手摘野果之形 ,反映了古人以草木之根实为食文字。 汉字的表意性可从以下两方面加以理的原始生活。 解 : 一是汉字的形与意间的联系较形与音要更长期的劳动使古人的智力逐渐提高 ,他们直接、更紧密些 ; 二是汉字字形具有模糊提示的生产手段也有了改进 , 反映到文字中 , 如 , 字义的作用。 汉字的表意原则直接地体现在阱 ,甲骨文像一只鹿头朝下陷入井中之状。 此汉字的四种造字法中 ,象形、、指事会意三种造外甲骨文里还有“” 等字 ,生动地再现了字法 ,字形与字音间没有任何联系。 如果说象古人以井陷兽的猎取方式。 形字是对物象的静态描摹的话 , 那么指事、会使用火 ,是人类的一大进步 , 它不仅使古意已是对复杂意念的动态显现了。 正是这三人的生活条件有了极大改善 ,同时火在生产中种造字法 ,通过动静虚实、内外表里的多角度也起了非常重要的作用。 焚 ,甲骨文像大火烧的透视 ,在线条形体上作了曲尽其妙的挖

中国文化通论复习提纲完整版

中国文化概论复习题纲 主要看每章节后面的名词及思考题。下面这些在课堂上基本讲到,只有“三纲五常”和“中庸”没有解释,但涉及到。另补充“中国古代蒙学读物的特点”。1、“文化”一词的古代解释 文:五色交错的纹理。引申为包括语言文字在内的各种象征符号及其载体——文物典籍。化:改变、化育。引申为通过教育使人得到改变,文明程度提高。 文化:精神领域内的文治教化。即用道德伦理、诗书礼乐来教育、改造人群。引申为统治阶级所使用的所有文治教化的设施。包括礼乐、典章制度等。 2、人类文化史上的四大文化指什么? 中华文化系统、印度文化系统、阿拉伯文化系统、西方文化系统。 3、文化的外显模式、内隐模式 文化的外显模式主要包括哲学、法律、历史、艺术、宗教、风俗、社会制度、行为规范、语言体系等,它们以文字等符号系统或人的具体行为为载体,一般都有外壳形式。 文化内隐模式大致包括价值观念、思维方式、情感取向等,这是人们在长期的文化历史发展中积淀而成的深层的东西。 4、正确对待文化遗产的原则 即以科学的、辩证的方法审视和筛选文化遗产,批判封建性的糟粕,继承民主性的精华。 5、中国的“伦理型文化”的显著表现? 历代统治者视道德感化为政治统治的重要手段,将有助于统治稳固、社会有序的道德规范去“教化”民众,以规范社会成员的思想与行为,此即所谓“以德治国”。 强调两个人的伦理义务,要求个人服从整体。 强调个人自身的道德修养,视“修身”为立命之根本。 6、为什么说中国文化具有鲜明的主体性和善于吸收外来文化的包容性? 1)中国文化的博大精深与绵延至今,在于它的兼容并包得胸襟,在于对不同区域或民族文化的交汇与融合中,求得顽强的生存与发展。 2)对于境外文化,中国文化多能以宽阔的胸怀去迎接挑战,并加以采撷、消化和吸纳,使之成为中华文化的有机组成部分,如来自南亚的佛教于两汉之际传入中国,至隋唐达到鼎盛,佛教思想对中国社会产生了广泛的影响,但它并未取代中华文化,也无损于中国本土文化的独立性格。中华文化是以儒家文化为主体的。 7、中国文化和谐型的特点有哪些? 天人合一的思想强调人与自然要和谐相处,认为人与自然不是截然分离的对立物,人的存在于自然的存在是互为包含的。首先,天人合一思想肯定天地、万物、人是齐同的,同类相通,统一成一个整体。其次,人是“天地之心”,为万物之灵长,宇宙之精华,人要爱万物。再次,人的活动要遵从自然的法则,与自然环境和谐交融。 知行合一在古代哲学家和教育家的视野中,不仅是一个认识论的问题,更是一个伦理道德的问题。首先,主张人应该增进道德认识,提高道德实践的自觉性,反对只说不做或言过其行。其次,“知”与“行”是相互依赖、相互促进的辩证关系。 情景合一是中华民族在创造美和鉴赏美时所追求的一种境界,其深层文化内核在

中西方酒文化对比

中西方酒文化的对比 摘要:“酒”是一个国家历史发展和文化沉淀过程中不可缺少的一环,无论是其制作过程还是饮用习惯都与该国家的文化价值观紧密相连。中西方文化价值观存在着根本性的差异,酒文化也是一样。本文通过对中西方酒文化所涉及的几个方面,进一步阐述中西方酒文化的差异,使读者对这些差异的理解更加清楚明确 关键词:酒文化;中国;西方;文化;差异 引言 酒是一种艺术,它以其水的外形,火的性格,渗透在人类生活的每一个角落、人类文化的每一个方面。它在世界文化中也有着惊人的相似之处。在文学和艺术的领域,酒的精神无处不在,并且深深影响着文学人士在各方面的造诣,是自由,艺术和美丽相结合。毫无疑问,酒在中国人的生活和文化中占据了重要的位置。在西方,谨慎与热情的冲突贯穿于西方的历史,正如美国人对于酒的敬仰。西方浪漫主义哲学也由此产生。在美国东部,酒文化对浪漫主义产生很大的影响,尽管浪漫主义没有太多理论上的哲学立据,但是他们主张要随时保持 现实的态度。 1.1中国酒文化 1.1.1祭祀与酒 由于酒是一种特殊的饮料,它能使人兴奋,使人麻醉,饮酒就成为有别于其他饮食行为的特殊行为。饮酒行为必然受到政治、经济、习俗、道德等特定条件的制约,并表现出人类精神活动的特点,如风俗习惯、伦理道德、审美情趣等。因此,酒文化现象往往是人类精神

生活的反映。酒文化的产生与发展,受到许多因素的影响,是一个历史的过程。如农业发展在酒文化演进中的基础作用、科技进步对酿酒工艺的促进、手工业发展对酒具质地和形成的制约、自然地理条件对酿酒业的微妙作用等等,都反映出酒文化是人类历史的一部分,它受到其他文化的影响,并与它们相互交融。 人类对神的信仰,也显示了对神灵所代表的自然力的崇拜。祭祀,是人们向神祗祈福求做的重大仪式。随着社会的发展和文明的进步,祭祀的政治意义日益加强,帝王的祭祀仪式作为朝廷大典。成为国家重要政治活动。不论是郊祀,还是宗庙里德祭祀,都是王朝的的大事,礼仪十分隆重。酒在祭祀活动中,起着独一无二的作用。酒以成礼,因此,凡是祭祀,除要供献牛羊等牲畜及五谷瓜果外,还要敬献酒鬯。 而饮酒之风的盛行,刺激了酿酒业的发展,但若饮酒漫无节制,则不仅有害于饮酒者一己之身,而且会带来许多社会问题。古人对此早有认识,因此禁酒的历史与造酒和饮酒的历史一样悠久。历代王朝禁酒,不外乎三个原因,一是以国君为代表的统治集团,因纵酒可能会导致统治腐败,君臣之间会因酒失礼,大臣之间会因酒失和,从而危及政权的巩固,也害怕庶民百姓酗酒滋事,引发争讼殴斗,不利于社会安定,影响统治秩序。二是古代农迁业生产常因频繁的天灾人祸而遭致破坏,粮食骤然减产是常有的事,而酿酒要消耗大量的粮食,特别是遇到饥荒之年,政局不稳,若把粮食消费于造酒,就会加剧政局的不稳定。三是为了防止百姓造酒卖酒获取厚利,而由官府专卖,保以使国家垄断造酒的利润。我国历史上的魏晋时代,是个既动荡不

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